昔は、人の振舞い方を見て・・・罰当たりが・・・・と・・・よく耳にしていた。
人間同に欠ける行動をした場合に、この表現が有った様だ・・・
最近は、殆ど耳にしない・・・その代わりに・・・得する・得を得る、この様な表現は耳によく入る・・・・
同じ行動や振舞いで、昔は罰当たりが・・・現代では得な、利口な行動と言う事に成っている部分も有る。
難度か書くが・・・全てを損得勘定で判断しているし、当然、得を求めている。世界苦に書けば、最終的にはお金と成る。
その為に、何度も私は、お金本位主義の世界と書いてきた。
お金と言う、紙切れに価値が有ると信じ込ませる流れが有るし、これも、架空通貨等々へと進んでいる。
要は民衆主義でなく・・・お金主義・・・・しかし、お金と言う物質には価値は無いが、それに価値が有ると信じ込ませる・・・流れが有るし、それを進めている人が資本家と言われる人に成る。
結果、資本主義ともいえる。
簡単に書けば、神札と同じ、信じる人には価値が有るし、その人達間で通用するし、中には、大きく価値を感じる人が居るという事に成る。
この神札を、出している、神社の違いで、価値が変る・・・之と同じようなものがお金である。
げん玉主義・・・現金主義・・・この様な考えも出て来るし、基本の物質の流通を見れば、物々交換が、基本の為に、現金主義が基本に成る。
しかし、紙切れのお金・・・考え様では、数字が帳簿に有る、これで、管理が出来る。
之が、付け、掛売が出来る方向に成るし、これが意味する事あh、現金が無くても、お金が有ると帳簿に有れば、有る事になり出す。
この時間差の部分の捉え方が・・・色色出て来る。
この部分で、お金がお金を生む、方策を考えた人が、資本家と言う人に成る。
勿論、後追いも増えている。資本主義に生きる人は、その道に進むことが、得だと感じる為に成る。
私は商売を行っているので、手形決済と言うのが有る。サイドが三ヶ月等々、色々有るが・・・・様な、一か月必要なお金を、三か月後に支払うという事・・・之が意味する事あh、三ヶ月分の支出を、遅らせる事が出来る事に成る。
商売だと・・・月100万の仕入れが有れば、サイドが三ヶ月・・300万の商品が有るという事・・・しかし、その商品が売れたと成れば・・・300万以上のお金が有る事に成る・・・っ子の一瞬を見れば、支払い分と足して・・・・600万のお金が、一瞬は有ったという事に成る。
之を商売が違うが、金融機関に当てはめると・・・預貯金に対して、それを元に貸せば、帳簿上は二倍以上の、お金が有るという事に成る。
貸付、年数が長ければ、帳簿長には、正常な運用、お金として、残っている事に成る。
要は、実質経済も、判断を帳面上で行う・・・之が現代と言う事・・・しかし、その中には、倍に成る、算数的、算術が有るという事・・・帳面上の架空経済を、実質経済とする流れも有る。
今、私は、機械の廃棄作業に、頑張っている・・・理由は、廃品、リサイクルに成る、物の価格が下がり・・・・廃棄する為にも費用が多く必要に成った為に成る。
之が、意味する事は、商品を作る為の材料が、余っている事に成る。
しかし、原材料の価格低下はを加速させる、事は、実際の人の営みが、一気に帳簿上に出てくる危険性が有る。何かの原材料のUPでバランスさせる・・之が求められる。
資本主義は、私は、崩壊に向かっていると感じている。又、近づいていると思う。
しかし、人間同士の、繋がりを、削ぐ政策が・・・・この流れを遅らせる方向を作っている。
資本家の為の、世界から、人間の為の世界に、向かう、世紀が、今世紀だと考えていたが。
遅過ぎた、感じもする。
唯物部分と、唯心部分が、ギリギリ、バランスを保っていた、時代から、唯心部分が弱まり続けて・・現代に成っている。
一般庶民が、資本家を守る為の、奴隷へと変貌してきた。
民主過ぎだから、資本家を守る、民衆が多ければ、それも民衆主義である。
日本国、法律も・・・昭和21年だと思うが、平等や自由・・之を重視した方向に成り、人の繋がりを、国自体が、気薄にする、西欧的価値感に、変化している。
結果、日本古来の嫁と言う立場が無くなり・・・妻と言う立場だけに成った。
結果、親族間等々の繋がりを、薄くし、訣別させる方策に成っている。
之が、地域社会の、まとまりも・・・崩壊に向かわせている。
最終亭には、お金しか信じられない世界・・・資本家の思うつぼに成っている。
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