最近の子供を見ていると・・・・当事者意識が欠如している。
四男のバイクの修理の時も・・・部外者的、ポジションを取って居る。
負に対しての振舞いが問題と私は考えている。
誰しも間違いを起すし、失敗もする。この部分の認識が有るなら・・・聞く耳を立てる部分だと思うが・・・我関せずという振舞いを取る、子供が多くなっている。
問題に対しての、責任を問う・・・この部分を私は行っているわけでない・・・誰しも壊す、壊すから修理をする。この当然のことを行っているし、当然、子供達が行っても良い部分に成る。
出来ないから、教える事も含みで行っている行為に対して・・・・習おうという態度が無い・・・・・
今の教育は、原因の追究が多いのか、その原因の張本人に成る事を恐れるのか????子供達の振舞いを見ていると、何か方向性が違う感じがする。
四男の、中学・高校の友達も・・・彼の行動に対して指摘してくれていた。しかし、聞く耳を持たない・・・・彼の優しさ、困っている人を無視できない、気持ちは良い事だが、それに伴う負の部分をよく考えていないし、彼の場合、自分が背負う覚悟はある様だが、その事で、他に迷惑を掛けていることまでの考える幅が無い・・・・
私と似ている部分に成るが・・・彼は慕われている・・之が逆に作用している様だ・・・・
私は、小さい事から、居ること自体が迷惑と言われていた存在。
その為に、迷惑に成らない為に、色々学ばなければと思っていた。
小さなことから除外感を感じていたので・・・溶け込む為には、人の役に立つこの部分を求めた。
間違っても人に好かれようという、女々しい考えは持たなかった。
己の個性・地で振舞う・・・之を他人がどう評価するかに成る。元が要らない人間・・・見え等々出す必要もないし、0から出発・・・最悪、0状態と考えていた。
この様な価値観なので、人が来訪してくれる・・・これ自体が喜びと感じる。
之を基本に、私の子供を見ていると、一杯の友達が来訪してくる。羨ましいとも思えるが・・・・分を超える、利用の為に、集まっている可能性が高いという事も、学んできた。
昨晩、着替えを取りに来たとの事・・・嫁が、四男の仲間がどう言っているかと問うたら・・・御免と言っていたとの事・・・之も、四男が勝手に言っている可能性が有る。
分を超える場合でも、人様を庇う命が有る。
ある先輩が・・・原状の社会に応じた子育て、教育をしないと、分を超える負を背負う事に成る・・・・結果、子育ても社会の縮図だと言って居られた。
之が意味する事は、間違った価値観が蔓延しても、それに従い、それ以上に強かに育てる事に成る。
将来に向かって、良いと言うより、悪い方向性を創っている感じが私はします。
当然、将来が個なのか・・・全体なのかで意味が変わる部分に成る。
個人主義の台頭が、個に向かっている。自分の子供だけはという、狭い考えの様に感じる。
三流で力なない、私の場合、この方向性に向かい易いと思うが・・・若者よ大志を抱け・・・この意味する事も大事だと思っている。
三流の大志・・・所詮、小さい事だと思うが・・・・四男は少し分を超え過ぎていると私は考えている。
恵まれている点は、上の三人の息子が、上手にホローしている様だ・・・・・
昔は、先輩等々の、縦の繋がりが有ったが・・・現代はその部分も崩壊している。
私の場合、後輩も多々居る・・・・その人達も協力を惜しまない・・・
この部分も、日頃の振舞いだし・・・感謝に成る。
苦労は買ってでもせよと言われている。簡単に書けば、損に成る。
個の損を多々しているから・・・恩を感じている人が動いてくれる。
体力的に、劣っる年代・・・・二十歳前後の人と、正面を切って、体力で渡り合う力も無い。その為に日頃の振舞いの意味が出て来る。
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