2019年2月3日日曜日

他人様の言葉・・・・

以前、書いているが、若い時は、色んな人から一杯指摘され、勿論、耳の痛い言葉に成るが、其れを糧に頑張る事が出来た。

しかし、歳と共に、この部分が減りだした。之を埋める為に、私は趣味に力を入れた。理由は耳の痛い事を言ってくれるからと思ってに成る。

私は下手で無知でエントリークラスと言う、スタンスを保つ方向で始めたが、現実は年と共に変わりだす。

日本国の場合、この耳に痛い言葉を、言ってくれる人が少ない・・・勿論、成長もしないで良い人なら良いが、私の場合、三流だし、若しかするとそれ以下かも知れないと思っている。

このレベルが、少しでも成長を考えた場合・・・・耳障りが良い言葉より、耳障りが悪い言葉の方が、私の場合、成長に繋がると思っている。

この部分を言ってくれる人が、結果的に自分を成長させたと成れば、当然、感謝する人に成る。

私はこの感謝できる人が、居るので、何か有れば、その人に会いに行く・・・当然、叱咤されるし、自分の悪い部分を指摘される。

私は三流なので、自分に優しく他人に厳しい・・・・その甘さをその様な人に指摘される・・・
如何しても、動物の本能、自己保身・・・之が底辺にどっしりと有る事に気付く事に成る。

この他人に厳しい、この部分を自分に当てはめる、之が出来れば一流に近づくと思っているが、之が出来ない為に、三流に成る。

しかし、愚民には成りたくないと考えている。耳障りの良い言葉を求め生きる、この生き方は結果的に、不幸に成るし、悲惨に向かって行くr・・・孤独感が強いので、同じ価値観の人達で、烏合集を作りたがる・・・この様な人が増え、国の底辺に多くいれば、民主主義等々、形成できない・・・・・独裁を求める方向に成る、強い親分の下で、楽に生きる。之を求めだす。当然、この立場に成れないから、不満が出るか、親分に逆らう事も出来ず、うっ憤晴らしを、親分が好むと思う方向でする世界に成って行く。

結局は親分の為にも成っていないし、足を引っ張っているが、其れも逆に感じて行動している。

自己保身が強い、利己主義が強いと、何故かこの方向に向かう人が多い気がする。

本来、裸の個人としての人間力を高める、之が生きる意味だと私は考えている。

しかし、最近は人が主体で無く、裸の体に着る、衣類を求め、そのレベルで、人を判断する流れを、資本主義が創り上げた。大量に消費する、消費者として人を創っている。しかし、最後は死が待っている、死ぬ時、その様な物は持って行く事も出来ない・・・

勿論、後継者に、渡す事も出来るが、この後継者を確り育てているか????之も疑問が有る。

勿論、後継者も寿命が有る、永遠で無い・・・現実に、百年前の人達の残した物質的部分を今の生活で感じているか???感じる人は少ないと思う・・・・この年数を二百…千年と長くすると、結局は、物より、意識・考え方・生き方しか今の人は、感じ取る事が出来ない。

五百年前に有った筈の、一流の企業、現代人で知っている人は少ないと思う・・・しかし、人の営み行き方・考え方等々は、残っている。

結局は、この様な部分が尊重されない、之が現代に成っている・・・後継者不足もこの様な価値観が無くなったと言う証拠にも成る。

後継者を創る、この意義が無くなっているなら、当然、少子化に向かう・・・・




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