2018年10月14日日曜日

今度は、スマホが壊れた・・・・

我家は何時も何かが起きている・・
今度は四男のスマホが、タッチパネルが反応しないと言いだした。
今、嫁と、一緒に、auショップに向かっている・・・・

昔は、気に成る事でも無かった事だが・・・・金欠の私には、大きな負担を感じる。

嫁も、私の感覚だと些細な事で、直ぐに仕事を辞める・・・この部分は昔から感じていたので、出来るだけ、外に仕事を出す事を私は拒んでいたが・・・現実には働いて貰わないと私だけの力では無理に成って来ている。

現代の社会では、優れているから、信用が有ると言ってもよい時代である。
劣っているから信用が有ると言う事には繋がらない・・・

この方向なら、信用が出来ないタイプと言う事に、私の場合成る。

しかし、現実の体は、老いと共に劣り出す・・・この事は信用を無くす方向に成る。
現実に、金融機関も、70歳を超えると、一気に信用が無くなる。

唯物的価値観で、仕方が無い部分に成る。

本来、信用とはこの様な判断材料で有るものでは無いと私は考えている・・・・

信用は唯物的、優れている部分がその根底に有ると成れば・・・・・人間ほど信用できないものは無いと言う事にも成る。

何故なら、明日の命さえ解らない、之が人間である。

最近の風潮は、全てが形・・この形が優れているか、劣っているかで決まる・・・又之が信用に繋がる、之が普通だし、一般的と考えている。


勿論、勝ち負け部分も、勝ち続ける之が信用と成る・・・之が現実に可能なのか???

結局は、人間では不可能に近い、狭い範囲の基準に入る、之が信用に成れば、当然、人間より、機械等々が信用が有ると言う世界に成って行く・・・・・

之も、人が何を選んでいるかで、決まる部分に成る。

信用と言うものは????何か・・・・・之も考える時代だと思う・・・・

近所の老婆を看取ったが、その老婆に信用が有ったか???現代の基準なら無い・・・しかし、何かを私は信用したから、看取る事が出来た。

この何かを私は探しているが、之と限定できる表現が出来ない。


0 件のコメント: