2018年9月7日金曜日

大変な、災害・・・虚遇に・・・絶えて貰いたい・・・・

昨日は、目覚めから・・・テレビで北海道の大地震の報道・・・・その前は、阪神・大阪の台風被害等々が、立て続けて、起きたと報道で、観ていた。

大変な、境遇に遭われ・・・絶えて貰いたいし、頑張ってほしいと願っています。

昔を考えると、幸せだったと感じる・・・・しかし、今の価値観で考えれば、けして境遇が恵まれていたとは思えない・・・

家に風呂も無い・・・・水も蛇口をひねると出ると言う環境でも無い・・・白米を食べる、之も夢・・・
当然、今有る家電品と言われる物も無いし・・・家の電気商品は、電灯位に成る。

この名残が、家の電気代・・・電灯代と成る。

しかし、物は無かったが、何故か幸せだったと感じる事が不思議である。

風呂を焚く、この様な言葉も死語に成っているし・・・風呂を焚くと状況を見た事の無い人が最近は増えている。

村の共同風呂、当番制で、風呂焚きの仕事が有った、午後三時位から、風呂に水を張り、釜に火を入れ、焚きだす。
当然、勤め人と言う、人が増えて行く流れで、内風呂に変わりだす。

よく、境遇が悪いからと言う人が居る・・・・勿論、悪いかもしれないが、其れが何を意味しているのか????

境遇が悪いから、私も悪いと成り、私の心も不幸だと、成れば、昔し生きていた人は全て不幸だったと言う事に成る。

先の大戦中は、全ての人が不幸のどん底で、何も出来ず。私は、不幸の頂点に居る等々を多くの人が思っていた事に成る。

境遇とは、私は、偶然・たまたまその場に居る、周りの環境だと考えている。

一番の実態は、私の心がどう感じ、どう考え、どう行動するかに成る。

この部分も、唯物的考えか、唯心的考えかの違いに成る。

自分らしく、この世を生きれれば、良い事だし、この部分も分相応と思えば、生きる事が楽しくなると私は、考えている。

境遇を、直ぐに変える事も出来ない、特に、過去の部分は無理である。

今も直ぐに過去に成る・・・だから、今が大事だし、境遇等々で左右されない、心を持てば良いと私は考えている。

人は、どん底に環境が、何故か何が大事か、何を守るのか・・・等々の、大事な部分が解りだす。
何度も書いているが、優先順位等々も、ハッキリ解る。

其れを、愚直に守り続ける・之が生きると言う事だと私は考えている。

しかし、凄い、震度7の地震で、死者の数が、世界の普通・基準と比べると、非常に少ない・・・
この様な境遇に遭われても・・・キチンンとモラルを保っている。

簡単に書けば地獄画の状況で・・・振る舞いが、規律正しい・・・・先に書いたが、境遇が悪いからと成らない点を証明していると思う。

唯物より、唯心を身で体現している事だと私は思っています。

何度も書いているが、不幸が劣っている????私は、その様に考えない・・・・不幸な状況でも、頭が下がる、振る舞いをされる、この事が凄いし、優秀な人だと私は思っている。

人は境遇部分が見えやすいので、直ぐにその部分に注視しがち・・・・心は見え難いので、気付きも難い・・・・

境遇を含みで、どう生涯・・生きるかに成る。涯、岸辺と言う意味も有るが、環境と、自分の心との境の岸辺・・・心が如何捕え、解釈するか???・・・・

表現が難しいが、現実の環境と、現実の自分の間には、当然、壁が有る

壁が、堤防かも知れないし、ダムかも知れない・・・中にか加工して環境と心の間に介在しいるもの・・・・

この部分が、凄ければ、どんな境遇でも、色々出来ると言う事に成る。

この部分が、何かは各自で探す事に成る・・・この部分の作用で、境遇は悪いが、境涯は良いと言う事も、有り得ると言う事に成る。

境遇に負けない、生き方が出来れば、当然、境涯が良いと言う事に成る。

之が出来なければ、境遇=境涯と成る。

この考えなら、凄い悪い、境遇に縁したら、当然、心も悪いし、其のまま、前にも進めない、悲惨な状況と言う事に成る。

この価値観は、自分の命さえ、境遇に与えている事に成る。
この事は、環境に、命をくれている事と同じ。

何度も書いているが、環境が良いから、幸せか????・・・・環境が悪いから、不幸なのか???・・・・・私が若い時からの宿題に成っている。





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