2018年4月23日月曜日

感謝・・・

三男の、彼女が・・・四男を病院に連れて行った・・・

四男が、事務所へ・・・お金・・・・・・・無い・・・・これで終わったが・・・

黙って連れて行ってくれた。

感謝に成る。

美容師の為に、今日は公休日との事・・・・バカな彼氏の、弟・・・勿論、バカで有るが・・そのホローをしてくれている。

社会人に成った四男・・・確り、借りが有る事を、解る筈だし・・・お金が出して貰ったら、当然、四男が返す、この思いが、大人への一歩に成る。

恩を感じられる人からの施しが、彼には良い勉強だと私は考えている。

私も昔は、親が与える恩は、当然と思っていたし、感謝等無かった。

しかし、父の事業が倒産したら、親に頼る事が出来ない・・・頼ると言う思いも無いままに、利用していた事に気付く・・・・

今有る環境を当然と思ったり、逆に劣っていると考えている間は・・・・この部分に感謝の念が出ない・・・

私が解って来たのは、父の倒産のお陰だと考えている。
結局、妻の出産費も、無い為に、色んな人に頭を下げたが、親が出すもとの言う人が多く・・・無視された、遊ぶ金や、人様に言えない金は貸すが、道理が通っている金は貸さない、仲間とは不思議な世界だと私は考える様に成った。

出産祝い金が後で入るのに、誰も手を差しのげてくれない・・・之が現実・・・

迎えに行く事が出来ず、布団をカブって過していた・・・・義母から電話、早く向かいに来いとの指示・・・お金は払ったから・・・・・・初めて、人の恩を強く感じた・・・・

結局は、当然と思っているから、恩を感じない・・・・又、劣っている環境だから、努力して渡したものさえケチは付けても、恩を感じない・・・

自分が劣っていると感じた瞬間・・・回りからの恩を感じる様に私は成った。

この経験が、結果として、三流市民以下くらいのポジションだと何時も思う事の大事さに繋がっている。

このポジションが、恩を多く感じられるし、これは感謝に繋がる・・・・感謝・感謝の生き方が結果、幸せだと私は考える様に成った。

私の場合・ポジションが高いと思ってしまうと、直ぐに傲慢さが出て来る・・人の振舞いにケツを付ける、結果、不満だらけに成る・・・之を幸せだとは思わないし、その幸せの足を引張っている、回りを怨み出す。

釈尊の説話で・・・人はと言う部分を、かすかに思えているが・・・・川、ガンジス川だと思うが、その中や回りに有る、砂・・・膨大な数に成る・・那由他(なゆた)と言う単位になるその中に手を差し入れて、出した手の爪に乗っている砂粒が、地球上に居る人だと言う例え話になる。

人に生まれる、奇跡性も言っているが・・・宇宙上に有る、物質と、同じだと言う意味にもなる。
目の前に落ちている、石と、同じと考えれば、少々の事も、腹に収める事が出来るという意味になる。

以前、後輩に言った事が有るが、何故、人等から踏まれる、ものは暗い色なのか???
光輝く、地面や床が有っても良いと思うが・・・・何故か、暗い色の方が、落ち着く・・・

若し、自分が、アスファルトだったら・・とイメージすれば、唾を吐かれ・・・重い物で踏まれ、心が有れば、不漫が蔓延していると思う・・・この思いが色に成っているのかもしれないと、話した事が有るが・・

人も心の中で、感じていると思うイメージが有る、そのイメージに近い、色や振舞いを求める習性が有る。

痛め疲れれている、自然に暗い色、くすんだ色と言うイメージになる。

人も物質で有るが、思考と言う部分が有る・・・又情と言う部分も有る・・・勿論、虫にも有るかも知れない・・保護色等、意識が無ければ、自然に出来る方が不思議・・・

現状では駄目だと、変化し続けた結果に成るが・・・最初に思いが有ると思う・・・

結局、自然界、宇宙も含みで、疑問を持ち、変化しなければと進むものしか生き残っていない・・・

変化が出来る立場は、一般論では弱い立場と言われている。

肌身に危機感を感じているものに成る。

人は不思議に安心感を求める習性が有る・・・・見せ掛けの安心感でも構わないと言う方向も有る。
何故かは、変化を好まないからになる・・・之を幸せと感じさせる、教育・思想・環境が有ると言うことになる。
現実は、変化出来る、之が幸せだし、変化へ導く人が、リーダーの筈・・・
この部分を、キツイと言うのが現代、本来なら、勇気を出す事の大事さを教えて頂いたと感謝する方向だが、逆に怨んだりする。

色んな、集団・組織が、後退かしている理由が、勇気が無い之に尽きる。

現状維持と言う事は、満足している事に成るし・・・この部分を壊すものを悪と考えている。
之をしていて、結果として後退していれば・・・根本を見直す事が本来の姿・・・

しかし、キツイ・又価値観を変える、これをしない方が楽だし、結局は幸せと考えている事になる。
之で結果が悪ければ、回りや環境、最悪は個人の責任に押し付ける・・・

この様な流れや、慣習が常態化すれば、性善説の価値観で振舞いをしている人が、損する苦労する事になる・・・心が汚い人が、生き残り、エリートと成れば、益々、加速的に、性善説が無くなる方向に向かう・・・

しかし、大きな時間軸・生命感で考えれば、無限地獄の方向を歩む人を創っている事になる。

この後を追いたがる人も増え続けている・・・皆が地獄なら良いと言うかんげになる。

クモの糸の逸話も有るが・・・クモの糸さえ握らない、又、気付かない人が増え続けている事になる。

皆が地獄なら、この場も天国と考えているなら良いが・・・・その中で、上を望んで人を蹴落としている。少しの上を望んで、天井を見ない人を創っている事になる。

之を、ドングリの背比べと言う・・・



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