不思議な事だが、頭に残る言葉は、何故か、母や先輩達からの言葉が多い・・・
私だけと思うが、両親が居ても、結局、母からの影響を強く受けている事に成る。
私が一番、頭に有る言葉が、歌詞にも有るが・・・「人の傘に慣れよと、育ってた母・・・」
「おふくろさん」と言う題名になる・・・森伸一の代表的な歌・・・
私の母も、同じ様な事を、私に言い続けていた・・・・
力が有れば、簡単な事なのかも知れないが・・・力が無い私の場合、夢に成るし・・大きな目標に成るし・・・大志に成る・・・・
母は、ボロ雑巾の様に使われ・・・最後はダシガラ状態に、成るのが、本来の男の姿と私に何時も言っていた。
この時に捨てられるか、守られるかが、その人の今までの振舞いだと母は、言っていた。
考えようでは、「生老病死」が必ず、生きていれば有る・・・・枯れる時も有る・・人は最後は誰しもダシガラ状態になると言う事・・・
それなら、ダシとして、何を回りに与えてきたかが、問題に成る。
勿論、最初から力が有る人と無い人と居る・・・私は、無い人だと言う事を前提に、人様からボロ雑巾の様に使って頂く・・・之が、結果、ダシとして与えている事に成ると母は考えていたのだと思う・・・
しかし、不思議だ、世話をしていた、老婆、夫の保険金が入って、其れを貪るように、求める人達に、バラ巻き・・・見かけは、人の傘に成っていたが・・・困り出したら、潮が引く様に、その様な人が老婆の周りから消えて行った。
結局、見かねて、我家が、老婆の面倒を看る事に成ったが・・・・・その際、その老婆に言っていたのが、何時も、キツイ事を言っていた我家が、何故か、貴方の世話をする事に成った、この様に成るからと、前々から、助言を続けたし、聞く耳を持たないために、強い言葉で言っていた・・・老婆には一番、怖くて、嫌いなタイプの我家が何故????と・・・質問した事が有るが・・・・無言だった・・・
人の傘になる・・・この意味の深さにも成る・・・・物や金を与えたから、傘に成っているとは限らない・・・仮に、与え続けて、最後は、人なら、ダシガラ状態が来る・・・その時、与えた人達の、振舞いは、必要が無いと捨てられるか???・・・論理的に考えて、利用価値が無いと、廃棄処分になるか???・・・・どうなるかも、結局は、日頃の振舞いの結果に成る。
この部分に不安が有る為に・・・・人々は、将来・・・今後の為に、ダシガラ状態に成らない方向性を模索し続けている。
この方向が有る為に、マスコミも扇動しているし、それで、利益を生む、企業等がCM当で、人々を集めている。
結局は、人に期待が持て無いと言う事だし、人には希望が持て無いと言う事になる。
この部分が無くなれば、人と縁も、それなりにと成る・・・その場とつくろう程度・・・・
結局は人との繋がりが着薄に成って行く事に成る・・・益々、人は当てに成らないと思う方向に成れば、物に執着し出す・・・最後は金に執着に成る。
この執着している金を与えた、この恩を強く売る、この様な人が増えるのは当然と言う事になる。
面倒を看ていた老婆も同じ、結局は、与えた物に対しての、恩を売る、其れを、体や努力で返していても、物が帰ってこなければ、何時までも恩を売り続ける。
勿論、法律等々では、老婆の感覚は正しいと成るが・・・裁判してまで、物を取り戻す力が無くなれば、誰しも、側から消えて行く・・・物に対して、物以外の形で返し続けたと言う、思いがその様な人には有る。
私は、最終的に、恩や義理を、与え続けて・・・其れをどう返すかも各自の価値簡易なる・・・結局、算数的に考えれば、プラマイ0には成らない・・・・それなら、マイナスが良いと思っても良いと考えている。
恩を頂くより、与えた方が良いし、このバランスも与える方向に強い方が良いと考えている。
その為に、頂く恩は、微細な事にも気付く、感覚が必要に成る。
逆に与えた恩は忘れる・・・
ジュース一本でも頂いたら忘れない・・その恩に対して、どう返すかを考える。
この部分が、少し前に流行った「倍返し」に成る。
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