2016年5月4日水曜日

お祝い事・・・・

お祝い事・・・・色んな事が有る・・・

この時期は、端午の節句・・・・

私の考えでは、長男の初の節句の世間・親族に対しての披露・・と・・考えている

そのお祝いを、本来、親族で行う・・・・之がお祝いという形でお金を頂いている・・・

その行いが・・・・鯉の生菓子等々を、配る・・・・・

節句の披露をする為には、お金が掛かる・・・・・・・・之をお祝いという形で、費用を捻出している・・・

親族全体で、行う行事になる・・・・・

しかし、昨今は・・・・・嫁の感覚では、節句のお祝いの費用は親と言っても、孫から見れば、祖父母がする事、費用も勿論・・・・・・・

しかし、お祝いは・・・・子供が貰ったもの・・当然、親と成る・・・・


そのお祝いは、表面上・・・・子供に成るが・・・・裏の意味が有る・・・・・

この流れに成れば、子供を多く儲ける事は、費用負担が嵩むという事に成る・・・

解り易く、書けば・・・・昔は、家単位・・・・個人より家が強かった・・・・お正月の、「お年玉」・・・・子供が貰うが・・・私が幼い頃は、親が回収していた・・・・母は「我家からも他の家にお年玉を出している、そのお返しでお年玉が返って来ている」と言う、理論・・・・之を基本に考えれば、子供の数が多いほど、家としては収入が増える法則に成る・・・・

家単位で、始まっている、行事・お祝いが・・・現実には多い・・・・其れを、額面通りに考えれば、個人としては損する・得する等々が出て来る・・・

端午の節句も、私の考えでは、親が運営・収支等々を管理する・・・・勿論・祖父母が色々してくれるが、お祝いとして頂いたお金を、上手に分配すれば良いと思うが・・・

現実は、祖父母が多大な費用をかけて行い・・・・そのお祝いは、若夫婦の懐に入る形に、成っている様に思う・・・

之が常態化すれば、この様な風習・文化も無くなって行くと私は考えている・・・

我家でも、頭の固い私が居ても・・・・現代風でない等々で、意見が無視される・・・・最終的には、嫁の「子供・孫が可愛くないの」で決着する・・・・

私の嫌いな、愛情や人権・・・・之を、表に出してくる・・・・・綺麗な言葉や否定できない言葉で、押さえ込む・・・之が差別と私は考えている・・・

必ず、何事にも見えない・表に出ない部分が有る・・・・それに気付き、配慮している事が、逆に誰かの利益になりだす時代・・・・


綺麗な、表現で、お金を集めて、結果・・・・表現と違う、方向にお金が流れたりしている・・・


結局、現代の、親達は、太い、かじりがいの有る、脛を持つ事に成る・・・・之が無い、細い脛なら、何も出来ない、駄目な親に成っている・・・

この様な状況で、子供を増やす、難しいと思うし、少子化は加速すると考えています。

結局、形等々でない・・・目に見えない、表に出ていない部分に、大きな問題が隠れている・・・・

個人主義の台頭が、事を複雑にしているし、昔の家・村等々の単位が日本国では色濃く残っている・・・・・習慣・文化・等々も之が基本に成っている・・・

結局、伝統文化の継承等々と言っているが、お金が掛かる、そのお金を誰が払うか、最後には国に成る・・・・・変な時代で有る・・・・・・

庶民が作り上げた文化を、国が守る・・・・不思議である・・・・



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