2023年5月28日日曜日

五月最後の日曜日・・・・

 今日は、日曜日・・・・我家の場合・・・嫁も五男も仕事・・・・

彼達の仕事は、一般的仕事で無く・・・必要な時の仕事・・結果、不必要な時が、休み・・・・

五男は、結果的に三週間ぶっ通しの仕事だったが、一日有休を取った・・・しかし、四時間勤務等々・・・色んな束縛時間が有るようだし、嫁も、職員の都合で、時間が前後にズレる事は常時と言ってよい程になる。

現代の日本の場合、一分一秒の正確さが一般的になっている。機械的な感じがする。五男は港の仕事、船が来航すれば仕事が発生するし、その時間帯も、満潮等々の潮の加減も有るので・・・・一定でない・・・

嫁も、相手は人の介護・・・人は一瞬一瞬で変わる、その対応が求められる。安定して対応が楽な人等は、嫁の小さな施設等に入所されない・・・要は、他の施設で対応できない人達が、最後の砦の様な嫁の施設に来ている状態・・・

子供に例えると、駄々っ子の時期に成る。何も出来ない赤子の時期は面倒も楽だ・・・・何を仕出かす解らない時期・・・嘘も付くようになる。

察する、洞察力も必要に成る。要は経験値が問われるという事、何の????人との関わりの経験値・・・当然、色んな価値観・レベルの人との関わりから、学んだ経験が意味を持ち出す。

私は、何時もの様に出来る事を、少し・少しと行なっている。

私が、不安が少ないのも、我家から、社会に出て稼ぐ、当然、貢献もしていると思う・・・この人の数が、四男の彼女も含めると、4人居る。

私一人が、扶養みたいな立場に成っている。

この部分が、無ければ不安も増大し、世に対して後ろめたい気持ちが、逆に社会に対しての恨み・妬みに繋がっていくと思う。

堂々と生きる。その為には・・・カタログスペックが高い等々で無く・・・人として、当然、人の老いるし・病にも成るその為に、小さな単位、家族として一家として、一族として、社会に確りと貢献できているかが結果として、幸せ幸福感に繋がると私は考えている。

この貢献意識が無ければ、何が残るのか、先に書いている。感謝で無く、恨み、妬み等々の嫉妬心になる。此が何を産むか、人の足を引っ張る方向に向かう・・・・

発展、末広がりになる為には、最初に感謝の思いが無ければ、始まらないと私は考えている。

努力される環境に感謝・この問題を気付かせら環境に感謝・・・この様な物事の捉え方が、人の生き方を変えると私は信じている。

私は、何度も書くように、差別主義者で有る。己から近い順序に優先順位を儲けている。当然、己から遠い、気付きもしない人達は、順序等存在しない場所になる。しかし、その様な人達も何かの縁で繋がっているなら、幸せで有って欲しいと願っている。願うしか私には方法が無い・・・手も足の出ない立場は、願うか・祈るしか出来る事はない、

人として駄目で、最低以下・三流以下の立場だでこの様に考えている。一流で、優秀な人達は、当然、これ以上の価値観、人の為に尽くして居られると思う。私にはその力は無い。

今、病に成った事に、何故か、感謝している。

数年前から、前兆が有った要だ、気持ちが高まらない・・・常時、倦怠感が有るし、気が晴れる事も無くなっていた。結果、趣味からも遠ざかっていた。理由が解らなかった・・・この病が原因だったという事・・・

結果、嫁は、私の体調を気付いたのか、仕事を始めた。感謝に成る。

彼女が仕事に落ち着いた時に、私の大病が発覚・・・・・その時は、五男が就職が決まった後・・・・何故か、恵まれている、奇跡的な事だと私は思っている。

今は、闘病中・・・勿論、リハビリの為に、体も動かさなければと思っているが、無理が出来ない体・・・・体力・体感が戻るまでは、騙し騙し、リハビリを行ないたいと思っています。

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