テレビで宗教法人等に奉納・お布施に対して、色々流れている。基本・奉納やお布施は、感謝を形に表した物で・・・・その大小はその人の価値観とお礼の大きさで変わるものだと私は考えている。
しかし、難しいのが、人は、利己なのか?????利他なのかで???捉え方が違うし、同じ行動でも意味合いが変わる。
私が若いとき、我が村の青年団に属していた。秋祭り・・・神事事に成り、お宮の行事に成る。しかし、慣例で青年団が仕切って行っていた。
しかし、村の長老・重鎮は・・お宮にお金が無い等々の言葉が多く・・・青年団で、祭りの抜き銭を行っていたので、要は幾らか残してお宮に納めろと言っているように聞こえた・・・
その為に、お宮の氏子で、抜き銭を集め、それで収支を考え、青年団に手伝わせる対価を渡せば済むと、言っていたが・・・・
当然、人手が掛かる、抜き銭等々、氏子では出来ず、青年団が行ったが、文章を作り、各家庭に、今回の秋祭りは、協賛金○○円と記載・・・使い道等も、記載して、配って、協賛金のお願いに回ったが・・・
当然、今までの流れと違うために、何故と言う疑問を言われ、何故、青年団にお金を渡す???これが判らないと言われる人が多かった。
説明に時間を要するが、解ってもらえない・・・結果、昔ながらのお宮の抜き銭として回れば、ご苦労様とお金を簡単にいただける。
この差が、何故????・・・正直に事実を正確に収支を言えば、信用できない、その様なお金は出さないと成る・・・しかし、曖昧で定かでない、神仏に対してのお金に対しては、直ぐに支払ってもらえる。
これを、若い時に経験し・・・何故と考えてきた。
私が出した答えは・・・先に書いた,利他・利己・・この違いの様だと思うようになった。
お金の使い道を確り表し・・・当然、無駄に使うことは無いし、余れば、公民館費や境内使用料で寄付する。確りと収支を表す、協賛金は、見返りが無い完全なる寄付に成るし、当然、利他の命が無ければ、出来難い。
しかし、収支も見えず・・・神仏が得したな~~~と成れば、その見返り対価として、何か良いことが己に有る。この様な己の欲の為、利己の命が強いと、どうしても、タダでくれる、寄付は出来ないと成る。
私は、人の為、世の為に、信仰が有ると考えている。人様の為が結果的に己に帰ってくると考えている。
私は力が無い、三流と何度も書く様に、私の分で責任と義務を果たそうと思っている。5人の息子たちを育てる・・・私の分を超える責任と義務だったが、人様の手助けで、どうにかできた。
母が言ってきたが、己に与えられた責任と義務が有る間は、己の分を超える範囲に進出するな????・・・若し、己だけと言う、利己を求める時は、隠居する時、要は、世間さまへの責任と義務を全て終えた後・・恒例に成って、後継者を多く創った隠居の身に成った時・・・
母が言っていたが、田舎、若い動ける人が、私だけの隣組、もし、大きな事柄、災害が有った場合、私が居たら、助けれた・・・しかし、己の欲で遠くに遊びに行く、当然、代わりの人間を配備しないで・・・私に与えられた、義務と責任・・から逃げたと成るし、この部分を使命と捉えきれない、価値観が、幼いとまで、これは私が尊敬する先輩から言われた。
考えれば、家長として、我が家での事柄は、全て、私に責任と義務が有る。当然、己のレベルで、範囲の大小が変わる・・三流で力は無いが、せめて、隣組位は・・・と私は思っている。
その為に、隣組で何かあれば、私に責任が有ると思うし、当然、強く感じることに成る。
日本国の場合、何度も書く様に、優秀で一流の人が多い、許容範囲、保養力等々も、世界規模の人たちが多々いるのが、日本国に成るし、この様な国に生まれることが出来たことに感謝している。
それに比べれば、些細なレベルに私は成る。
最近、難しい、持続、継承・・・哲学的には先が無い・・・人は欲の塊、我欲が有るから、挑戦も持続も有ると言う事・・・・
要は、秋祭り等・・・今は青年団も無いので、隣組の持ち回しに成っている。
私が長で、行った際、当然、収支を確り判るようにして、余ったお金は、公民館・お宮に寄付と言う形で、処理した。
しかし、これは今後、続かなかった、理由は、飲み食い、身の奉仕で尽くした人たちに対して、お返しが少ないと言う理由に成るし、予算は全て使い果たしても良いのに・・・・・何故、残し、それを公民館・お宮に寄付するのか????他の隣組は行っていない。
要は、損したと言う事・・・
文化や歴史は残せるものなら残したいと私も思っているし、勉強も行っている。しかし、この様に思っている人は少ないと言う事・・・簡単に書けば、飲み食いが出来るから、行っているし、持ち周りで回ってくれば得だと思っておられることに成る。損得勘定で、得と思うっている人だけが祭りに頑張る、勿論、目的は飲み食い・・・・これが無ければ、頑張る理由も無くなると言う事にもなる。
文化・歴史を残したいと言う思い、これを得と捉えて頑張って居られる人は少ないと言う事・・・
結果、事詳しく正確に真実を書けば、文化等も、継承が難しくなる場合が有る。
同じように、宗教界も有るようだ・・・
本当は、思い・哲学部分だが、それでは人を止めることが出来ない、馬の耳に念仏と同じことに成る。
馬を留めさせる為には・・・人参を多々、見せ置くか???ある様に思わせるか???・・・又は、動くことが出来ないように、縄で縛るかに成る。
人間も同じである。CMの世界でも個人的見解ですと言う但し書きが付く・・・効く等々の、効能は大々的に言えない。
国が認めた、効能、薬効だけが記載できる。
宗教界がこの様に成る????・・・無理だと思う、交通安全のお札、当然、無事故を願って、又、信じて、お金を出した。結果は事故を起こした。返金が出来るのか????
お布施や賽銭を行う・・・・先に書いているように、お礼、生きられたお礼等々での行いなら、私は解るが・・・祈願の為なら意味が違うし、もし、この流れが加速し、一般化すれば、金額の大小で、効能も変わると言う事に成る。
要は、神や仏の効能も、金次第と成る。
私は、金欠の為に、1円でも大金である。福岡に仕事で往復したが・・・坂本トンネル・・軽自動車250円が身障者手帳で130円に成った。120円少なく支払う事に成った。金欠の私の場合、体験である。感謝もその重さが違うと言う事・・・・当然、お金持ちも居られる・・・金額的価値観も私と違うと思う。
又、車を購入・・・友達から、○○成田さんが交通安全のお札の効き目が良いと言われた。これも国が認めた効能でなければ・・罪に成るのか????
神仏から遠ざける、方向性・・・これも怖いと私は考えている。
以前、書いているが・・・特殊詐欺・昔はオレオレ詐欺と言われていた。
これも、騙されてよいと言う、高齢者の思いも有ると言う事、要は、実子が相手してくれない、これに対しての仕打ちに成る。要は、かまってくれた事に対しての感謝と成る。
毎日の様に顔を合わせている息子なら、このような事に成らない。
要は、騙されていると言う事は、理解していても・・・・それが常態化し、分を超えた時に、今度は急に被害者に変わると言う事・・・
これが法令化する・・・政治家も大変だ・・・政治家個人を信用した。当然、マニフェスト等々に記載した。公約が100%守らなければ・・・被害請求さる・・・手弁当で応援した有権者なら、当然、それが可能になる。
公約を信用し尽くしたが・・・結果は・・・・・・
野党側は、野党だから、公約を守ることが出来なかったと逃げることが出来たが、出来難くもなる。
要は、宗教界も政治家も、同じ人気商売・・・人様から興味を持ってもらわなければ、己の存在意義が無い・・・・道は無限にいある・・又、人の数、求めている道も違う・・・しかし、選べる道は己一人だから一つしかない。要は、殆ど全てを裏切ると言う事・・・・要は、嘘の頷きが多々あると言う事・・・認めていないが認めたと言う良い顔をする。
死にます。病を患います。老います。等々の、四苦を正直に当然の様に有、その為に、受け入れられる許容力を己につけろと言う、宗教界は少ない、逃れ逃げれるからと言う理由の宗教界に成っている。
要は、誰しも嘘と思っているし、信用していないと思うが、何故か、期待し、信用したいと思い込んでいるだけである。
この思いが、結果的に裏切られ感を強くし、被害者意識に強くなる。
要は、聖職者や政治家と言う者は、この期待感が強い・・・だから、本来は、真実・正直に接しなければならないが、人気商売の為に、1000人顔をし過ぎている。
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