生命の勝者と一般的に言うと・・・生き残っている立場に成る。
要は、今居る生命のエゴとも言える判断になる。
しかし、今居る生命は、結果的に生き残り・・命のバトンを今まで続けてきたから、己が居ると言うこと・・・・この年数を考えると・・・不可思議と言う桁のバトンが奇跡的に繋がったために、今の私が居ると考えれば、当然、過去の生命にも感謝になるし、当然、種も変化して、命を繋いだ事にも不可思議を感じるし、この奇跡に感謝しない方が不思議と思う。
単細胞の生命から・・変化を続けた結果が、今の私の姿とすれば、奇跡だと私は考える。
要は、この世に生まれた、生有る姿で生まれた、奇跡的事だし、当然、大感謝と言うことになる。
生きられる事に感謝があれば、当然、このバトンの繋げる、責任と義務が有ることも解っているし、この大事さも解っていると思う。だから、生命の中には、己の身を後生の為に残し、子孫のために、命を絶つ生命も有る。
考えようでは、後生の後継者を残す・・・この思いが有り、現実にしてきた生命が、普通だが・・今の私の人間としての一般論からだと、偉いな~~~凄いな~~~と、何故か成る。
当たり前のことが出来ない・・・種としての人間・・・大丈夫かとも思う。
大病を患い・・・又、新たな部分が見えだしてきた。頑張り方が解らない・・・治療に専念する・又、せろと言われるが・・・
正直に、少し体を起こしているだけで、体調が壊れ・・・休む、安静にしている時間が長い・・・私の感覚だと、何の努力も行っていない。
これが治療を専念していると言えるのか????疑問が有る。
休む・動かない・・・此にも意味が有り、理由・・・当然、動く・働くと同じくらいの意味が有る。
この状態に、なる事も有るのが生命・・・勿論、種次第では死に直結している。しかし、人間、恩・義理が有り、後継者を確り育てていれば,止まる状態でも、生き続けることが可能と言うことは、人間という種は凄いと思う。
勿論、生命としての、義務と責任を果たせばに成る。
嫁を迎えに行く時間・・・・
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