今朝、我家に住む私以外の家族は、仕事に向かった。
残った、私は?????・・・・主婦業に成るが、先ずは、ゴミの山????・・・四男のアパートから持ち帰った物の整理を考えている。
後始末・・・年齢的にも当然、考える時期に成る。
世の中に生まれ、当然、事を色々起こしているし・・この事に対しての責任も有るが、一番は後片付けが大事だと考えているし、「立つ鳥跡を濁さず」と有る様に・・・この様に居た今世紀は残さない事を私は理想にしているし、残せるなら、思い出としてだけで十分だと考えている。
この様に考えてても・・・現実は、息子達が言う様に、己の足で火葬場に向かい、遺骨に成ったら己の思いで、墓に収まる・・・之が可能なら、私の考えも完結できるが・・・現実は、不可能である。
死に向かう状態でも、己で何が出来るかも限定されるし、大病に成れば、当然、人様に迷惑をかけることに成る・・・・生きている間は、迷惑を人様に掛け続けた人生と成る可能性が高いと言う事にも成る。
一流で無い、三流の為に、有る部分、仕方がないとも思うが・・・・人様に己の手を差し伸べる事より、差し伸べて頂く事の方が多いと言う、現実に対して・・・申し訳なさも当然、出て来るし、感謝と言う恩も出て来るが、その恩を返す力が無い為に、情けないとも思えて来る。
この世に生まれ・・生かされた・・・当然、感謝の思いを蓄積していく事に成るし、それが生きると言う意味だと私は考えている。
若し、感謝でなく、憎しみ等なら、生きて居ても不幸だと私は思う。
若し、この
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