今、何事にも差別と言う、事がば、暴れている感じが私はする。
好みの主張も、立場等々で、一歩間違えば、差別と断罪される。
個の好みを尊重する・・・しかし、現実は、この好みを表現すると差別と言われる。
私の基本は、人間も生物であると言う事・・・・間違いも失敗も起こす、これが人間と捉えている。
生物だから、当然「生老病死」が有る。
人間は、この事を、理解できる、能力が有ると考えている。しかし、能力が有っても、その部分を意識しない・・考えようとしない・・・之が常態化すれば、一般的な動物と同じで、今と言う、一瞬・一瞬を経過していく、これを生きると言う事に成る。
当然、動物も己の好みが有るし、それに対して、後先を考えないで、行動する・・・之が動物と言う、生き物に成る。
私も動物的部分が有るが・・・人間としての能力、先を想像できる、その先が、どの程度、先かが、人間の能力差で有るとも考えている。
私の、将来は、物質としての私と言う存在は、無くなると理解ている。要は、死ぬと言う事・・・己自体が無くなると考えた場合、今、何が出来るか???を考えることに成る。
勿論、己が終わったら、世界も終わると言う訳では無い・・・若し、政界まで無くなると言う考えなら・・・当然、今を面白く可笑しく、生きたいと思う。
しかし、己の存在が無くなっても、世界は有る・・・何の変化も見えない状態で続くと思う。
世界が残っているなら、私は何かを残したいと言う、思い、欲が有る。
要は、生きた証と言えば、格好良いが・・・・・残せるもの、勿論、世界に対して良い方向性の物を残し、この世を去りたいと考えている。
勿論、私は三流で、力も無い・・・しかし、力が無くても、出来る部分が有ると思い、要は、その思いで言動していると言う事に成る。
その結果は、私がこの世を去ってから、解ると言う事にもなる。
要は、答えを残そうと、生きているが・・・・死んだ後に結果としての答えが出ると言う事に成る。
人を残す、出来れば、世の為に成る人を・・・と考えている。
0 件のコメント:
コメントを投稿