2021年2月27日土曜日

正直・・・

 己のままで・・・普通は一般と言う部分は、殆どが刷り込みによる・・・教育の怖さに成る。

教育????・・・と思うかもしれないが・・・・普段の人々の振舞い言動が・・人を創る教育に成っていると私は考えている。

私は、三流で、劣っている・・・しかし、どうしても近くに居る人、私の場合は父母や祖父母・地域の人々の振舞い・言動が己を形成している事を感じる・・・勿論、その様な人々が正しいとあ解らない・・・その為に、色々、己で調べる事に成る。

無意識に自然に身に付く部分も有るし・・自ら望み・求める部分も必要と私は考えている。

又、私の周りで、私に影響を自然に与えた人達は、基本的に、私に対して見方である。祖父母も父母も地域も、この範囲に入っている。

此処で自然に身に付いた部分も大事だと思うし、逆に、敵と思える他人様・特に赤の他人と言う中で、取り込まれるでなく・・・己に対して、簡単に言えば、キツク対応してもらう方向での学びを求める事も大事だと私は考えている。

生まれて、自然に家族と言う、見方に取り込まれている・・又、地域社会にも自然に無意識に、溶け込めている・・・と言う事は、この世界の色に己が成っていると言う事にも成る。

勿論、太陽の光の様な色なら良いが・・・どうしても原色の色に染まっていると思う・・勿論、この事さえ気付かないのが、知り込み等の自然にその中に居ると言う事は、色さえ感じなくなっているからに成る。

若し、己が赤に近いなら・・・光の三原色で、透明に成る為には・・・当然、黄:青の光を求める事にも成る。

若し、これを色の三原色と成れば、己はシアンと気付けば、マゼンタ・イエローの色が必要に成るし、奇麗に混ざれば、黒に成るが、現実には濃い灰色と成る。

要は、求める方向で、黒にも無色透明に成ると言う事でも有る。

私は、唯物論者が基本に有る。要は、色として考えている。しかし、唯心論者は、光として捉えて居るかもしれないと、勝手に思っている。

私に掛ける部分を、学ぶ・・・しかし、唯物論者に、手に取ることが出来ない、光・中々、実感が出来ないでいる。

見方に厳しく接してもらう・・之も甘えが有ると私は考えているので、昔から言われる他人の飯を食え・・之が大事だと考えている。

厳しい・キツイ・事が当然だし、普通と私は考えている。

勿論、家族等々は、優しさが有るので、狭い範囲なら普通と成るが・・・非現実と私は考えている。

形を求めるか????目に見え難い部分を求めてるか???・・・当然、生き方も変わると私は考えている。

今、感染症の話題が世間に成る・・・私は異端児、結果として、人と接する機会も少なく、又、人との距離感も広い・・・

生きている、この事さえ、不思議と思うし、何故???と思っている、生きているだけで感謝と言う思いが強い、生きているこの事を私は当然とは考えていない。

色んな人様のお陰で、今生きられる・・・先人たちのお陰で生きれると考えている。

この部分を忘れたら、死んだ方が良いとも考えている。要は、生きる意味が無いと思うからに成る。

ブログにも書いて居るが、先人が、正義の人か、悪人か等は、関係ない、その人が居たから今が有る、それなら、今に対して、感謝できれば、先人に対しての通善供養とも考えている。

若し、今の己の環境が悪いと思うなら、己の責任・・自業自得・・・此処から出発しないと、結果的に、崩壊・破綻・破滅に繋がると私は考えている。

先人達を恨む事に成る・・・・人様のお陰と言うのは、先人達も含まれていると言う事に成る。

勿論、己は三流・劣っている・・・・その為に、その様な振舞いが先ず必要だし、三流だから出来る、事も有ると信じている。

己の持ち場は、厳守する・・利も負も無い・・使命だから出来ると考えている。

私は何時も幸せと思うのが、使命と言う部分を少し感じて来たからだと思う。

分に応じた使命が有る。勿論、劣っている馬鹿な私、中々気付く事が出来ないが、最近、なんとなく解ってきた。

己は、何の為に、この世に生を受け・生かされているのか????

若い時は、夢で描くような、ヒーローと思いたかった・・・しかし、その分が無い事に直ぐに気付く、当然、三流の為に、その原因は周りに有ると思いたがる。

日本人で良かったと思うのが、トイレの神様と言う、歌が流行ったが・・・・日本には分に応じた神が居る。

己は???と考えた場合・・・当然、己の分に応じた使命を果たす事に成るし、果たす事が出来るか????・・・之が、私の課題に成る。

祖父は、父の我儘・甘さを危惧して、昔で言う、肥え汲みを職として時も有る。

祖父が言っていたが、手首の返しが、重要・・・之が出来れば、一滴も溢さず、肥を運べると・・・・笑って教えてくれた。

私は、祖父を凄い人と感じていた・・・しかし、父は能無しの父と思っていた様だ・・・

之も捉え方に成る。同じ人間の評価も、人の数、捉え方が変わる・・・

嫌われて当然と思っていると、些細な声掛けに感謝できる様に成る。

之も、異端児が幸せと感じられる、特徴とも言える。

勿論、己を三流や・劣っている、失敗も間違いも多々起こす、駄目な人間と思っていなければ、不満に成る可能性が高いと考えられる。

不衛生が、人を強くする可能性も有る。

不幸な環境が人を強くする可能性も有る。

要は、捉え方と、結果が幸か、不幸か・・と成る。





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