人間は集団の中で生きる生物と書いて来た。
当然、集団には各々の持ち場が出て来るし、それが有るから、集団に関わっている、属していると言う安心感が出て来る。
勿論、持ち場、ポジションも確り、出来る人なら、私は理想と思うが・・・理想通りに成らないのが、人間とも言える。
出来なくても、己のポジションと思っている人も居るし、それが、集団の中での安心感に繋がっているなら、それを取り上げる事は、集団から疎外された除外されたと捉えてしまう可能性も有る。
私の年齢に成ると、人とは出来る・出来ないで無く、組織の一部を担っていると言う立場が安心感につながっている事が解り出すし、ポジションの大事さも、別次元で思う様になる。
しかし、立場やポジションから人を判断すると、出来ない、能力が無いと思えて来る。
要は、己が思っている、立場・ポジションの能力が有ると言う事だし、それを、一般には普通はと言う事に成る。
母とは、子が産めるから、母と成る・・・母の能力とは子を産める能力が有れば、母と成る・・しかし、母の立場・ポジションを勝手に思い込み、それに対して能力が無い等々思うのも、人間と言う事に成る。
仮に、動物なら、子を産んだ、母に成る・・・母が子を育てる能力が無ければ、当然、子は死ぬ・・・・要は、能力とは産めても育てられたかに成る。
人間は、産めた・・・子は成長し大人になった・・・育てられたことに成る・・・しかし、誰にが問題と言う事にも成る。産んだら放置という場合でも、人間なら大人に成れる可能性が高い・・・何故か・・・育てる部分をカバーする人が居るからと言う事にも成る。
社会の中の立場・ポジションも同じと私は考えている。仮に、その能力が無いと気付いたら、手を貸す事で、カバーできる・・・気付くと言う事はその部分に対して能力が有るからに成る。能力が有った人が行った方が効率が良い、しかし、他の部分は能力が無いと言う事にも成る。
人は、神でない・・・その為に、立場やポジションが有っても、完璧に出来ると言う訳でない。肩書以前に人間と言う事に成る。
子育てを経験した人なら解ると思うが、守ると言う事は、尻拭き作業も多々ある。
人様に頭を下げ、当然、対価を求められ、額に汗してそれを稼ぐ・・等々、無に思える行動を続ける事が、守ると言う事に繋がる場合も有る。
要は、現代は、何度も書くが、人を神だと捉える方向性が有る。立場が偉いと成り、偉いなら、完璧で有る筈・・その完璧も、各自が考える理想と言う事・・・多々の理想に対して完璧で無ければ、その立場に居る資格が無いと言う、方向に向かっている。
仮に、妻として、完璧も、妻側と夫側で、違うはず。又、姑親でも変わる。
多々の妻の完璧な理想に、応えきれる、妻が居るとは私は思わない。
不完璧な人だから、それを前提に考えれば、人間は集団の中で生きるなら、他の人がカバーすれば良いし、要は尻拭きをすれば済む事だと考えている。
しかし、尻拭きを、損と捉える価値観を植え付ける、教育が成されている。
結果、それをしたく無いから、尚更、完璧な人を求める事に成る。
個人プレーでない・・・組織として集団として、どうカバーし、理想に近づけるかに成る。
尻拭きする側も人間、完璧で無い・・・当然、個人と成れば、失敗が多くて、完璧から遠ざかる。その為に、多くの尻拭き要員が必要と言う事にも成る。
しかし、その部分が育っていないなら、当然、その様な集団の中のリーダー・立場・ポジションの人は、神に近い人と言う前提に向かって行く・・・
昨今のリーダーに対しての、指摘等々を見ていると、人々の器が狭くなったな~~~と感じている。
カバーできる人材が育っていないとも成る。
人間、叩けば、誰でも埃が出る。埃を見つけ出す事は簡単だと言う事・・・要はそれを補いカバーできる、己に成れるかが問われていると、最近は思っている。
こう有るべきと言う、原理主義に進み過ぎている。
要は、人間と言う事を無視している事に成る。
出来る事をしない・・それが対価に繋がると言う考えが、今は主流に成っている。要は、能力はお金に繋がる、当然、己にと言う事・・・
力を出し惜しむ人が、仮にリーダーに成れば・・人を奴隷として使いだす。出来る人だがしない人・・・・仮に出来ない能力のないリーダーなら、したくても出来ない、手伝う事で可能になるが、誰も手を貸さない・・・結果、能力が無いと排除される。
勿論、人を育てると言う観点で、しないと言う人も居るが・・・現実は????現実は???・・・
トカゲの尻尾切りに使う人も増えていると言う事に成る。
要は、居ても居なくても良い人を切ると言う事に成る・・・・居て貰いたい人とは、痒い処に手が届く人と成る・・・
個性が有るパーツなら、その個性を必要と思われれば、廃棄出来ない事に成る。
交換が可能な、個性の無いパーツなら、当然、簡単に廃棄できる。
私が一番大事に考えている部分にも成る。排除は仕方が無い、好みが優先される・・・しかし、廃棄は別問題に成る。
一所懸命に私に尽してくれた、物は私も廃棄は出来ない・・勿論、今は使っていなくてもに成る。しかし、変わりが有ると思う物は簡単に廃棄しす。
要は、ものに対しての価値観と言う事に成る。
その為に、嫌われても感謝と成る、私の存在を認識したからと捉えている。
要は、その他、大勢の、居ても居なくても良い人と言うあしらいを受けた時が、一番悲しいと言う事にも成る。
しかし、人は、集団に属し、その中の役割が有るから、己の存在を感じている人が居る。
出来る・出来ないと言う能力は別に置いて・・・役割とは大事な部分にも成る。
0 件のコメント:
コメントを投稿