2019年11月10日日曜日

三流で馬鹿が住み易い世界・・・

私の周りには馬鹿が多い・・・・

馬鹿が住み易い世界が有っても良いと思うが・・・・中々難しい問題が、馬鹿にも色々あると言う事・・・・・

一番の問題は、偽り嘘を言う馬鹿をどうするかに成る。

何故、嘘を言うのか・・・基本は見栄が有るからに成るが・・・何故、見栄を張らなければならないのか????・・・若しかすると、馬鹿は社会から除外される方向性が有るなら仕方が無い部分ともいえる事に成る。

私の知り合いで、大阪に今は済む、困ったチャン・・・・知能障害が有ると言われる人になる。小学生、中学年程度の知能レベルと医師から言われた人・・・
同じレベルの知り合いも居るが・・・違いは・・・この嘘や偽りを言うか言わないかの違いで大きく、違ってくる。

一人の人は、親から、馬鹿にされるはと教育され・・・知らないと口から言わない・・・結果、発する言葉が全て嘘に成る・・・・あと一人の知り合いは、親からお前は馬鹿だから、人から色々言われても、知らないと答えろ・・・難しい事は、誰々さんに聞いてくれと教わっている。

この違いで、一人の知り合いは多大に騙され、又、多大に人様に迷惑を掛けて人生を送った。あと一人は、周りの配慮等で、出来る範囲の仕事を行って、今も真面目に暮らしている。

後者は、人様に頼る生き方かもしれないが、それを受け入れた人が、居たからに成る。

社会が、本当に、馬鹿は、生きれない、排除される世界なら、この様な人は生きれなくなる。

しかし、最近も問題に成った、分に合わせる・・・この言葉さえ問題、差別だと言う世界と言う事は・・・・三流や馬鹿・力が無い人は、排除される世界と言う事に成る。
その部分を、政治が対処してくれと言っている感じさえする。

何事にも体と影が有る、よい部分も有るし、悪い部分の有る・・・しかし、この部分を認めない世界に向かっている事にも成る。

普通と言う基準が、一極化している事にも成るし、この普通に属しなければ、排除される世界なら・・・当然、馬鹿は、嘘や偽る方向に向かう・・・・

馬鹿を隠す、馬鹿が居ると言う事にも成る。

この様な馬鹿は、馬鹿と言われる事を異常に恐れる・・・・理由は嘘が暴かれるからに成るし、社会からの排除感を感じるからに成る。

本当に馬鹿が、生きられない世界なら、私の知り合いの、人も正直に生きているが、生きれない筈である。
しかし、確りと生きている。

逆に、偽り・嘘で固めた人は、地域に住めなくなり、大阪の地で、国からの保護政策を受けて生きている。考え様では社会が産んだ、被害者に成るので、仕方が無いとも思える。

何故、馬鹿に馬鹿と言うと怒るのか????・・・この様な社会構造が有ると言う事にも成る。

勿論、人の本質部分で、見栄を張る、人より勝る事に快感を得るタイプも居るが・・・馬鹿がこの方向性なら、付ける薬が無いと言う事にも成る。

此処までの馬鹿の定義は・・・劣っている部分が有れば、馬鹿と言う定義に成る、三流も馬鹿に分類されると言う定義であるし・・・
何に対して、劣っているか????当然、社会が言っている普通と言う基準からに成る。

本来、馬鹿とは、鹿を見て、馬と言う、又思っている、事を馬鹿だと言う。

勿論、習慣や風習で違う可能性が有るし、その事を何度も教わっても、言い続ける様に成る。
馬鹿の定義は難しい・・・しかし、言える部分は、嘘を言う、偽る・・この部分が馬鹿と言う事は私でも解る。

私は、この様な環境・レベル・立場だと正直に自己主張する事は、馬鹿な行動とは私は思わない・・・・・しかし、それを社会が受け入れるかどうかは別問題・・・

若し、受け入れてくれないなら、努力が必要に成る・・・この部分で、仕方が無いから嘘を言う、偽る・・・之が馬鹿と言う事だと思う。
しかし、社会の許容力が弱まるなら、当然、嘘を言う方向の人が増える事にも成る。

現実は、狭める方向に有ると私は感じている。

口では広げたいと言っていても、偽りであるように感じる事は、世の中、馬鹿しか居ない世界で、稀に賢い人が居る世界と言う事にも成る。

今は、楽が一番も目的に成っている・・・・結果、苦学生等々は死語に成っているし、誰も求めていない・・・・結果、分の相応と言う価値観を、今の社会に持ち入れれば、反感を買う事は当然と言う事にも成る。

仮に、何故、学問をしたいのか・・・何故、高学歴を求めているのか・・人様の為、社会を良くしたい・国の為等々が有れば・・社会も対応する事が求めれれると思うが・・・
殆どが、我欲を満たすためだと思う。

逆に、何故、高学歴を諦めたか・・・之も現実は、我欲の為だと思う。

最優先順位は、自分だと言う価値観が蔓延している世界で・・・我欲も各自で違うと言う事だけに成る。

この命が有る限り・・・嘘や偽りも無くならない・・・
人の本質と言う部分に成る・・・・

生きる為には、嘘も方便と言う諺も有る。

之が意味する事は、人は全て馬鹿だと言う事に成る・・・煩悩が有る凡夫と言う考え方に成る。

この人間が、格好だけは神や仏に近付きたいと、見栄の方便を語っていると言っても良い・・・・

要は、行動・振舞いに真実が有ると言う事・・・何の為に振舞っているか????・・・この部分に尽きると私は考えている。

要約すれば、優秀で一流でも我欲の為の嘘や虚偽を起せば、馬鹿と言う事に成る。

仮に、何度が書くが、閻魔大王の前に、出た時に、何人救ったか???何人育てたか???と問われ・・・答えられるか???・・・逆の方向が私は、多いと思うので、まだ生きたいと考えている。小乗的、レベルでの判断に成るが、之でも、劣っていると思う。

しかし、最近は損する振舞いをする事を、馬鹿と言う事が多いが、その損も、己の利の部分を言っている事が多い・・・

考えれば、菩薩の振舞いだが、人を背負う・・・この行動も馬鹿と言う、菩薩に対して馬鹿と定義している事にも成る。

逆に、人を騙し、楽して儲かっている、富を得ている人を、優秀と言う・・・餓鬼を推奨している事にも成る。

要は、餓鬼や畜生の人々を増やす方向性が社会に有るとするなら、その姿は地獄と言う事に成る。








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