2019年7月15日月曜日

孫守・・・・

今日は、祭日・・・孫が来る可能性が有る。

人が人を育てる・・・影響力の高い人は、当然、妻や子供に成る・・・

子育ては経験したし五人の男の子を育てたし、育てている・・・・

今は、それに孫守が有る・・・・

当然、私にも親が居るし、親守も、母は看取った・・・・結果は簡単な単語で終わるが・・・その最中は、毎日が格闘に違い・・・・・

その都度、私も成長できたと思うし、知らない部分を知る事に成った。

私の、同窓の中には先に逝ってしまった友も居るが・・・この世で、どんな経験が出来たか、又学んだか等々の、経験が大事だと思う・・・

勿論、私の寿命も解らない・・・・不確定な時価何の間で、どの程度経験されるか????・・・之が、各自の違いに成るし、生き方に成ると思う。

何度か書くが「生老病死」は好まなくても、誰しも経験する。

それ以外の部分が、各自で変わると言う事に成る。

若し、この部分まで、平等や基準化が進めば、完全に、人は物に成ってしまう。

私の場合、この様な部分で、変化してきた・・・特に価値観に成る・・・
若い時の私の価値観なら、今の生き方は一番不幸な生き方と感じる筈・・・

しかし、守るものが出て来ると・・・この価値観では私の場合、生きられなくなった。
負から逃げたい・負を背負いたくない、この考えだと、守れない場合が有る。

その後は、誰が原因かと、負の責任の所在を求める・・・之を行っても、結果的には、憎しみだけが残る・・・

要は、全て自分に責任が有ると、思えなければ、事を進める事が出来なくなる。

頭を下げたくない、下げない生き方を、望んでいた若い時と、180度違う、頭を下げる生き方に成った。

人様のお陰で、生かされていると言う事が、子育て等々を通じて感じれるようになってきた。

経験が高まると言う事は、色んな価値観等々を知る事だと私は考える様になった。

今は、孫の、守を考えているし、行っている。
当然、親が居るので、出しゃばる必要はないが・・・現代的なのか、離婚した子も居るし、その為に、縁が切れている孫も居る・・・・私に取っては同じ孫である。
どう守ろうかと思案が必要な部分に成る。

母の葬儀には、縁が切れた孫達が、参列してくれた・・・・これも私は感謝している。
血縁と言う部分を少しは、理解している事に、私は感謝している。
当然、血縁が有るから、縁が切れた後も、孫守で、週末は看ていたし・・共に楽しい経験も有る。

夫婦は縁が無かったと、別れるが・・・・子供、私の場合は孫に成るが、血の縁は有ると思っている。

三流で、力が無い私の為に、当然、考える部分が増える事に成る。

特に男、この様な部分の教育を受けている・・・嫁は、可愛いという感情で行動する。
自分の思い・感情を優先させるタイプに成るし、女性に多い。
私は、叔父さん等々の親族から、この様な部分を教わって居るようだ・・・
当然、現代の価値観に合わない・・・その為に、一部の親族に教えている。

今後、何世代か後・・100年後を考えれば、親族や血縁・一族と言う、単語さえなくなっている可能性が有るし、その場合は、今の私の存在・生きたという事さえ、ゴミ以下の扱いに成っている筈・・・・
それを、現代人は求めている・・・生きている間だけの、人生と考える流れに成っている。結果、今一瞬の優越感を求める生き方が正しいと成って行く・・・
考え様は、飼い犬のリンとレベル的に同じという事に成る。






0 件のコメント: