集団の中で生きる・・・人間として一番、影響を受けやすい部分に成る。
四男も、集団の中で生きている・・・勿論、色んな集団の優先順位が有ると思うが、
家庭人としての意識より・・・・今、遊んでいる友の集団が一番大事だと思っている・・・
勿論、集団の基本、人が居る・・・この人が、許容力が有り・・・色んな、価値観等々有るという前提で・・・多々の価値観が集まる集団に属しているならよいが・・・
之が正しい・之が有っている、之が勝つ道に繋がる等々・・・一つの価値観の集団の中で、生きているなら・・・その集団意識としての流れが怖い・・・・・一つの価値観だと、どうしても究極、一極・小さい方向に向かっていく・・・之から脱する事が怖いから、従う事に成る。
何度か、説話も「裸の王様」を例にしたが・・・
集団としての、意識が有る・・・しかし、個人としての意識も有るが、自己保身と言う動物的、本能・習性も有る。
この生物としての、本能に打ち勝つ、生物の人間も難しい・・・
特に、衆参意識で、一極に向かう方向の場合、如何しても、その流れを止める、意見等々には言えない世界に成って行く・・・最悪は、その行動が、死を意味する場合も出て来る。
子の度合いが、強い事を、私は独裁的と考えている。
意見と言う事は、価値観の相違が少しある事に成る・・・この意思表示が即、死に成る、国も存在する。
或いは、社会的、生活の基盤を取られる、この様な場合も有る。
又は、集団から別離される、場合も有る。
本来、社会が発達すれば・・・どの意見・考えも平等に捉えられる世界だと私は考えている。
過去の歴史的、革命等々は・・・平等でない社会と、感じた、価値観の人が、結果的に武力で、勝ち取る流れが殆どである。
之が意味する事は、先に書いた「裸の王様」の王様が、変わる為に、革命に成り、人々の本質的、価値観の広がり等々は成っていない。
Aの価値観からBの価値観に変っただけで、人を縛っている部分は変化が無いという事に成る。
要は、目に見える、闘争等々は今後必要としないという事に成る。だから、難しい変革と言う事に成る。
今までは、食べ物の趣向の違いで、人が死に、人が裕福に成る世界だったという事・・・
若し、人間社会を覗き見れる立場なら・・・・・私達が見ている、蟻と同じに見えると思う。
今世紀は、この流れが底辺に有る・・・しかし、価値観の違いでの威張りが、最後の足掻き的に、酷くなる世紀でもあると考える。
勿論、歴史を見てれば、この様な事を、続けているのが、人間でもある。
懲りない、生物と言う事にも成る。
動物を、飼う・・・若し、人間的なら????・・・しかし、最近は、各生物の特性で、飼い方を変えている・・・その事は、違いが有るという事、無いに、その生物が一番、幸せという部分が。各、違うという事・・・・
犬と言う、括りでも、犬種・個性で、違う・・・・
人なら、当然、多々の違いが有るという事が、私は、普通と考えている。
楽に生きる事が、本当にし幸福なのか????・・・私は多々疑問が有る。
自己保身に、執着すれば・・・社会は地獄に向かうと私は、考えている。
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