本来は七転八起だが・・・私の場合、七転八倒と言った方がよい・・・ギリギリ生き残ったから七転八倒が続くことに成る。
七回転んで、八回起きる・・・この様な数ではないし、多々転び・・多々、ギリギリで起きている。
之を、死ぬまで続ける・・・之を楽しみたいと考えている。
色んな問題が出て来る。問題を避けたり、逃げる事も出来るが・・・家族を守る、この主旨を置いている以上・・・逃げる事は出来ない。
又、守るべき人を増やす・・・当然、家族の範囲も広がり出す。
末広がりの方向性は、問題も当然増える事を意味している事に成る。
結局は、三流だから、仕方が無いし・・・力が無いという証明にもなる。
力が無いから、問題も出て来る。有れば気付かないでも解決できる。
有る人が、「お前はよいな~~」と言われたことが有る。
転んでも死なない・・・現実の事故等々の、ケガも何時も、死んでも不思議でない状況なのに何故か生き残る・・・この様な現実以外にも・・生き方として死なないと言われた。
その人が言われる。転ぶ事が許されないと成れば、何度も書くが、失敗も間違いも起こせない事に成る。人の本質も認められない、個人が思う分にはよいが・・・家族等の自分外までそれを求め、必要と成る。
之が意味する事は、他人まで、自分の思う通りの人を求めだすことに成る。
私の場合、実子でも実親でも、私の思う通りに成らない・・何を起こすか判らない、これを前提で考えている。
嫁は、育った環境も違うし、厳密にいえば、他人に成る。当然、思う様に成る訳がないと私は考えている。
この様な家族と言う集団さえ・・・思う様に成らない・・・之を私は普通と考えている。
しかし、集団としての責任と義務は有る・・・之を家族に解って頂く、之も私の仕事だし責任だと考えている。之が出来なければ、誰かが背負う事に成る・・・この立場が私と考えれば、全て道理が付く・・・
分相応に生きる、これを求めた・・・しかし、社会に対しての責務も有る。当然、生物としての責務も有る。
当然、分を超える事も、しなければならない時も有るが・・結局は自分の分に戻る、この場所が私には心地よい・・・この場所が低いために、人様からは三流や・普通と違うと言われると思う。
私はレベルが低いので、身の回りの人しか、眼中にない・・・この部分が私の家族の範囲に成る。
勿論、力に応じて、小さいと思うが・・・これも私の分相応に成る。
子供たちに話を聞くと、問題等々を避ける・逃げる之が良いという発想が強い・・・
私もその命は有るが・・・背負っているものが有るから、進むしかないし、問題が見えていても、進むしかない。
しかし、三流を私は卑下していない・・・三流として生きる。之さえ私には難しい・・・難しいから、進むしかない・・
今後、色々な、問題も当然、出て来る。問題に対しての回答も、昔と今とは、変化している。勿論、私も変化している。
元々、無い力が、歳と共に減りだす年齢にもなってきた。壮年期も終盤に成る・・何を学んだかが今後の支えに成る。
目に見えない人間力をどう学んでか???之が問われる年齢に成りつつある。
私は、人間としての生物的部分の責任は、粗、果たしたと考えている。
後は、人としての責務が残っている。
何を、子孫に残し、与えていくか?????、この部分の仕上げに成る。
しかし、世間的には、還暦・定年の年齢に直ぐに成る・・三流だから、遅過ぎると思われる部分に成る。
優秀な位置理由の人なら、もっと若い年齢の時に、仕上げの段階だと思うが・・・私は遅れている。
私の誕生日も超えたが、おめでとうと言ってくれた、人が一人も居ないという事は、三流の証明とも思う。
身は枯れる方向に向かっている。今までの人様との縁等々で得た知恵が、大事に成りだす。
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