家族の一員として、又家長として、責任が有るので、頑張っている。
しかし、我家だけかも知れないが、私の立場は蚊帳の外・・・
家族でコソコソ話しているが、何を話しているのか分からない・・・・私にとっては聞かれたくない話と思っているし、何か有れば、結果的に私が責任を背負う形に成るので・・・胃が痛む風景と私は感じるが・・・表面的には、我関せずと言う振る舞いしかできない事が、悲しい・・・
その場に入る事が出来ないし、当然、努力するが、多々の問題を感じるので、直ぐに指摘する之が、嫌われる形に成るし・・・
家族の中で、各自が自分の勝手でしょう・・・自由が有る・人権が有ると・・・言うなら、最後まで責任を背負えとも言いたいが、其れが、昨今のマスコミ等々の風潮では、許されない方向に成っている。
人様に出来るだけ、迷惑を掛けたくない、この思いで私は生きている。
しかし、家族が迷惑を掛けたら、当然、家長の私が処理する事に成る。
又、当然だが、家長としての管理能力等々を言われる。
家長の私の分に応じた、振る舞いを家族がしていれば、良いが・・・其れを、強制すると、最近は、許されない様だ・・・
この傾向性が有る、世の中で、何故、最後は責任者と言う立場が、処理する事に成るのか????
之が、解らない・・・
この環境なら、家族に成る人を責任者が選ぶ方向に成る。
同じ様に、会社も成りだす・・・しかも、責任の所在をハッキリさせない方向性も始まる。
会社側、管理側は確り、管理していたと言う、事実・証拠を残す様に成るし、又、指示し教育したと言う、部分まで残す、結果、管理はしていたが、その管理外・・個人の問題で起きた、この様に向かう。
之を、個人の自立方向する。方法と考えるが・・・現実の人達の価値観は、依存、出来るだけ、楽で・自分の思う通りに成る、大樹への依存が高まる事にも繋がる。
今回、之を書くのも、昔何度が書いているが、嫁の依存度、打ち出の小槌へ・・・・この部分が私に成る。
私も老いる・・・昔の様な力は無い・・・しかし、依存部分の変化が無い・・・
之が私には、つらい事に成る。
子供の問題、家の問題、全ての問題等々も結果的に私が処理する事に成る。
勿論、之が出来るから、私の存在が有ると言う部分も有るが・・・・無くなれば、唯の素材ゴミの立場に成る。
今、当り前の様に、社会に氾濫している、言葉・・・・この言葉を如何感じるかは各自の立場でも変わる。
人権や・自由・・・グローバル等々、当り前の様に、使う・・・其れを聞く、家長や責任者はどう感じているか、私は、胃が痛むと感じる。
勿論、その様な事を当り前の様に口にする人は、私のレベルが低い、其れが問題と成る。
求める、当然の権利、人権や自由も与えられない、責任者が悪いと成れば、他を探してくれとも私は言いたいし、現実に言う事も有る。
先のブログにも書いているが・・・家と言う単位で、家の家長が悪い、だから、他の家に移住を考える・・・現代なら、自由に移れるはずと言う価値観に成っている。
しかし、現実は、違うと私は考えている。
若し、家を移る事が出来ないなら、責任者たる家長を変える・・・之も有りえる、考えに成る。
私はよく、家族の、希望に沿う・・・家長を連れてくれば、私は勝手に消えると言っているが・・・・
現実は、無理なのか、その様な事には成っていない。
よく、愛等々を言い出す人も居るが、私は単に家長と言うポジションを行っているだけで、それ以上の部分は無い、責任が有るので、私の分も知っているので、その範囲内に留めたいと考えているだけに成る。
責任者・責任を背負う立場と言う、この部分しかあ私の価値観にはない・・・責任を背負う立場なら、当然、自分の力量も知る必要が有るし、知れば、その範囲内に留めたいと思うのは私の価値観だと当然だと考えている。
その為に、基本、大きな事は言わない、又出来ない事は、出来ない可能性が高いと言って、挑戦する程度に成る。
之も、背負う之が人の生き方だと、考えていた為に、若い時から、この様な価値観で私は生きて来た。
結果、この思いが、周りを甘やかせているのかも知れない。
それなら、私が居ない方が、家族の成長にも繋がるのかとも考える事が、時には出て来る。
今日は、私の後輩・同窓と二人で、嫁を一所懸命に、話して聞かせていたが・・・無理を私は考えている。
何時も思うのだが、足が無い人に足が治り、生えて来る等々、不可能の部分・・・・
人は、人に依存して生きる事しか出来ない人も居る。
何度か書いているが、背負われないと、生きて行けない人も居る。
又、神輿の上で無ければ、生きられない人も居る。
この人達を、生かせる為には、当然、背負う人が居るし、担ぐ人が必要に成る。
この様な部分を、最近は、各家族等々で、家族の人数が減っているので・・全てが家長の責任に成っている。
昔は、家長はドンと構えていれば、良い立場・・・兄弟も多いし、親族も多い、その部分で有る程度処理していたが・・・現代は、負の部分を、兄弟や親族等々で、処理しようとする発想も無いし、考える事も無い・・・
現代は核家族と言われう時代に成っている。結果、家長が全てを、処理する、勿論、責任の処理も有るが、之が求められだした事に成る。
一人の家長で、何処まで出来るか????出来ない、結果、家族は少ない方がよい、子供は居ない方が良い、と成って行く・・・
勿論、家長の分のレベルに成るが・・・
私の場合、子沢山に成るし、親の介護等々もしたし、未だ父親が残っている。
当然、家長の分が大事に成るが、私は分が低い、結果、分を超えた、苦労が出て来る事に成る。
之を承知で私は生きて来た、その為に、贅沢な事は出来るだけしない方向で生きていたつもりである。
勿論、足らない部分も有ったと思うが、私一人の努力より、家族の数が多いので、その部分の努力・振る舞いが結果として、私の分を超えている為に、大変に成る。
家族への教育も結果的に出来ていない・・・と言う事に成る。
今日は後輩が言っていたが、彼は、悪い方に凄い生き方をしてきた。結果、反面教師で子供が確りした子供と成り、今は日本でも一流の会社に勤務している。
羨む様な、経済力を今は付けている・・・・
教育とは解らない、何が人を良い方向に進めるかは????・・・・・何度が書いているが、良い親が、良い子を育てるとは限らない・・・之が現実である。
しかし、良い親を装う・・・この見栄で結果的に、破綻方向に向かう家庭も有る、私の家庭も過去数回、この様な形に成った。
人の良い、優しい心が結果的に、人から利用され、大きな問題にも成る。
勿論、問題が出れば、誰が処理するか、当事者が本来と思うが、当事者能力が有るか、無いかは一緒に暮らしている、私が一番よく解る。
私も人が良いのかも知れないが、全て背負い処理をして来た。
之が甘えに成っている感じが又、最近して来た。
ブログに書く様な価値観や、考え方は当然、、家族には口頭で言っている。
しかし、聞く耳持たずである。
有る人が言って居られたが、人は、食べる人・作る人、之は永遠に固定だと言われていた。
私が、作る人なら、永遠に続ける事に成る。
之を、使命と受け止めきれる、命が有れば、良いが、無い為に、苦労と感じてしまっている。
要は、何度も書いているが、三流のレベルだと言う事に成る。
しかし、三流でも、人間のレベルには居る。
之だけでも、幸せだと思える様に成りたいと考えている。
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