嫁は、野球が好きだ・・・・・勿論、観戦に成るが・・・・・フォークスが勝ったと大騒ぎ
私は、スポーツで好きなのはモータースポーツ・・・野球もサッカーも興味が無い・・・
又、見方も違うようだ・・・私は之と言う・・応援するチームも無い・・・唯、車等の動きを見て感動しているタイプ・・・・
嫁は自分が応援しているチームを観戦すると言う方向・・・・・・私は動きを見たいと言う観戦方向・・・・・
各々、スポーツの見方も違うと言う事に成る。
勝ち負けを気にする見方も有るし、単純に動きを楽しむ見方もある。
見る側も色んな、楽しみが有るなら、アスリート側、スポーツをする側も、色んな楽しみ方が有ると言う事に成る。
しかし、何故か、嫁が、私の見方は面白くないと言う、勿論、彼女の価値観ならそうなるが、貴方は変わり者この単語が付くと、見方まで、強制している事に成るし、嫁か思っている見方が正しいと人に押し付ける方向に成っている・・・・・
この、他人の価値観まで、踏み込む、それも土足で・・・この感覚が私は解らない・・・当然、自分はこの方向が楽しい、この部分までは解る・・・しかし、人まで強要する、この方向が解らない・・・
しかし、ナショナリズム・・・仮に、日本と言う看板を背負って、スポーツをしている、これを見ると、私も、日本と言うチームを応援したい、感覚に成る・・・しかし、良く考えると、スポーツを見ている感じで無く、チームと言うより、日本と言う部分を応援している事に気付く・・・・・
競技の種類は何でも良いと言う事・・・・・仮に、モータースポーツでも、日本と言う単語がチームに付くと、何故かそのチームを応援したい気持ちが出て来る。
勿論、弱いチームでも成る・・・勝つ訳は無いと解っていても、勝って欲しいと言う思いが出て来る。
この部分を上手に煽る、人達も居る・・・・之が、人の心の扇動が上手い人に成る。
客観性が無くるると言う事・・・客で無く、当事者に成ってしまう、第三者が存在していると言う事に成る。
この部分で、勝つ事を重視すれば、当然、姑息な手段も、容認する第三者の客に成って行く・・・
之が、社会と言う部分を構成している事に成る。
この部分も、考えて、事を判断しないと、大変な事に成る。
心では解っている、しかし・・・・之が人を暴走させる方向に成る・・・・この思いで勝っても、結局は虚しさだけが残る・・・結果、勝ったという対価を別に求めだす。この部分が、金本位主義に染まっているので、お金に成る。
勝った喜びは一瞬、勝ったので、次は対価に成る。
お金本位主義を益々、浸透させる方法にも成る。
考えようでは、スポーツが目的で無く、対価が目的に成って行く・・・・・・
嫁は、見るのが楽しいのでなく、勝つ事を見る之を求めだす。
勝ち負けは時の運・・・・・私はこの様に考えている。
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