2018年7月2日月曜日

来訪者が多い・・・

午前中・・・来訪者が多い・・・・先ずは、生命保険屋さん・・・・・重ねて、被害者請求をお願いしている保険屋さん・・・・それに、叔父が来訪して来た。

保険等は、嫁が行っているので・・・・私は叔父の相手をする事に成る。

父が、お盆に帰ってくると伝える・・・・
昨日も、お会いして、父と縁が有った人には、父が帰って来る事を伝えたが・・・何故と言う質問も受け・・・当然、私のレベルでは父の対応が難しい・・・その為に、手を貸して頂きたいので、先に、報告をしていると、伝えている。

自分の思う様に成らないと、機嫌を害する人・・・また、人生の目的が、自分の思う様な世界にすると思い込んでいる父、当然、仕上げの歳になり、この様な状態になっていなければ、周りが悪いと思ってしまう人である。

この様な、生き方を父は、不通と言うし、誰しも思っている事と言う・・・・父の周りにはこの様な人しか居なかったのか???と、私は何時も疑問を持つが、現実には、色んな人が居たし、その都度、各々の価値観を語っていたが、結果として、耳に入れていない父だったという事に成る。

現代、大小は有れども、色んな情報が簡単に手に入る・・・当然、どれを選ぶかが、各自の価値観に成るし、考えに成る。

しかし、何か問題が有れば、知らなかったと言う人も多い・・・之が意味する事は、自分が好む情報だけを耳にしていると言う事に成る。

結局は、その人の基本部分の価値観が、その後の考え方を支配し、又、盲目にするという事に成る。

私も父の様に、自分の思う通りの世界で生きたいと思うが・・・・自分の思う通りの、思いとは何かと何時も考える。

仮に、目の前に、溺れている人が居る・・・・このまま死ねと思う人も居るし・・・助かって欲しいと思う人も居る。

若し助かれば、死ねと思っていた人には思う様に成らなかったと成る。

助かる為には、当然、自力で助かる。又人の手を借りて助かる・・色々有ると思う・・・

自力で助かって欲しいと思った人なら、他人の手で助かったなら、思う様に成らなかったと成る。

他人の手で助けないと思っていた人は・・・・次に、誰がその手を貸すかと成る。

正儀の見方、スーパーマンが現れて助かる、これを考えていた人は、この様な人物が出なかった、場合、思う様に成らなかったとなる。

マダマダ、続くが・・・・結果、思う様に成る、この方向の方が、少ないし、稀と言う事に成るし、若し、思う様に成る・・・之を強く求めれば、この場合、手を貸すのは自分と思い、飛び込んで助ける努力をする、この方向性が、確立が高い筈である。

勿論、思う様に成らなければ、非常に危険だし、最悪、死に向う・・・・思う様にすると言う事は、自分の命と引き換えだと私は考えている。

之を、基本に私は置いているが、何故か、自分の思うような環境を求める人に多いのが、自分は安全な座布団の上に座っている人が多い事にも気付く・・・・

結局は、独裁者の立場を望んでいる事に成るし、この様な人は、他人がこの立場を謳歌していることを、非常に嫌がるし、否定する人も何故か多い・・・

私は、人も動物だと思っている、与えられた場所・時間・環境の中で、どう生きるか、この部分を全うすれば、良いと考えている。

この部分は各自で違うし・・・同じ人等は居ないと私は考えている。

その違いが有るので、自分が良いと思うことも、相手次第では違うと言うこと・・・・之が人の本質だと考えているが・・・・

之では、得する人等が出難い・・・勿論・見栄を張ってもバカと思う人も多くなる。
こうなれば、何が問題化は、物が売れないし、物の評価も多様化して行く事に成る。一番困るのは、商売になる。

結局は、之が正しい・良い・等々の部分をアピールして、そうだと思う価値観の人を増やす、之が商売の基本に成って行く、扇動になる・・・・

之が、人の欲、をくすぐり、この欲を適えられる、之が幸せだと言う、価値観の蔓延に繋がる。

究極を言えば、生きる・又生きたいと言う欲は、厳然と有る。
毒饅頭と美味しい饅頭どれを選びたいかと言う、質問をすれば、殆どの人が、美味しい饅頭と言う・・之が洗脳の基本に成る。

美味しいとう言う、人の主観まで、限定している、当然、美味しいと言われる物を食べて、美味しくない人も居ても良いが、それを、絶対数が多いから、貴方の味覚が間違って居ると言う、流れも出て来る。

当然、美味しく無くても、毒饅頭に比べれば、まだマシだという考えも出て来る。

しかし、若し、誰かが、毒饅頭を食べ、苦しんでいる、これを見た人は、どう感じるか、この流れの価値観に成っていれば、当然、バカが・・・となると思う・・・

しかし、その人が毒饅頭を取った為に、後は安全の確立は上がる・・・・この部分に対して感謝しても良いと思う人が何故か少ない。

若し、愚力に必死に、家族を守ろうと、奮闘努力している、人が居るなら、当然、自分が毒饅頭を食べても良いと言う覚悟の人も居ると思う・・・・

私は、守ると言う事は、この思いが要ると考えている。
この部分が有れば、少々の問題も克服できる。
この部分が無いから、少々の事が大きな問題と成り、当然問題だから、考え、模索して最善策を求める、勿論、守る家族が大事なら、この方向に向うのが当然と思うが・・・何故か、自分と言う一個の立場を重視し過ぎて、小さな集団まで、崩壊する、答えを出す方向に成る。

問題に対しての答えが、私は違うと考えている。

このボタン掛け違い、問題の取り違えが・・・父の発想を加速させている・・・

母は、この様な男が多いと、言っていた・・・・・簡単に書けば、独裁者的存在を求める。
この様な、男には成るなと、何時も言っていた。

叔父は、お盆の、日程の連絡に来てくれたが・・・・私の学友のお盆も今回有る。
葬儀に参列できず・・・駐車場の警備で奔走していた・・・・・・彼とは時代が違うが戦友だと考えている。
私の様な、古い考えかも知れないが、厳然と現代にも居る。

何時も書いているが、叩けば、ホコリも多々出る立場・・・・三流だし、無知、だから、頑張るしかない・・・

死んだ、学友も増えだした・・・・・私も、マダマダ、しなくて成らない部分が、多々有る様だ・・・

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