五男も、嫁の送迎が無くても・・・中学校から帰ってきた・・・雨模様だったが、凄い・・・普通の事だが、我家の場合、凄いと成る。
嫁は、子供に対する愛情と言うが・・・・男の私には、解らない部分に成る。
今、我家から巣立っている、三人の息子が、私によく言うのが、「嫁から、ケツの毛まで抜かれている」・・・家庭の事に、特にお金に対しては、何の権限も無いし、お小遣いも、思う様に貰えないし・・・タバコを買うお金も無いので、セビリニ我家に来ているという事に成る。
母親と、妻とは、大きく違うし、婆に成ると又違う・・・私も大蔵大臣だった、母に、会社の部下と飲みに行くのでと小遣いを要求したら、3千円で十分と言われ・・・その時に、孫の私の子供が同じ事を言ったら、恥をかくので、二万円渡していた。
子供の立場の私には、3千円・・孫の立場には2万円・・・もし、父の夫としての立場なら、当然500円に成ると思う・・・・
簡単に書けば、愛情の優先順位になる。
私の嫁は何時も言う言葉が、夫婦は所詮、他人・・・・この言葉が私は、当然だが怖い・・・
今回、怪我をして、痛む肩と腕を、さすってと言っても、誰もが無視・・・・
結局は、リハビリが私には天国に成っている。
嫁に言わせると「若いおねーチャンから、さすって貰って、嬉しいだろう」・・・・何事もプロがした方が良いと・・・・
私は寂しい気分に成るし、愛情と言うものが解らないと成る。
些細な言葉が、愛情として感じるし・・・・お疲れ・・等々の言葉が、何故か私の耳には入らない・・・
家族に取って、私は、稼いで当り前の人間と言う認識の様だし・・・・怪我で稼げなくなれば、其れまでお人だったと言う事の様だ・・・・
現代風な風潮だし・・・使い捨てで、直ぐに忘れされれる立場が、私と言う事になる。
先輩方が、よく、男は、早く死んだ方が良いと言われる・・・結局は、稼ぐ能力が落ちたなら、要らない存在と言う事らしい・・・
この状態に成れば、能力が無い分、過去の栄光や権威を傘にかけた、発言もしだすし、回りからは鬱陶しい存在と言う事になる。
特に過去の武勇伝が大きく多いほど、この傾向が有る様だ・・・・
之を評価する時代でも無い・・・現実に今、何が出来るか、詳しく書けば、何をしてあげる事が出来るか・・・・之が出来なければ、必要で無いと言う事になる。
昔、24時間、働けますか・・・戦えますか・・・と有ったが、現代は、死ぬまで、働き戦い続けて、当然、勝ち続けて、対価を与え続ける状態で無ければ、生きる意味が無いと成ってきている。
個人主義の台頭が、結果として、後継者と言う、部分を忘れさせている。
人の、宿命の「生老病死」これも、無いものと、日頃考えもしないのが現代と言う事になる。
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