昨年中は色んな人に迷惑をかけ・・・どうには過す事が出来た。
一年が過ぎると、感謝に成るし・・・・又年が越せたと・・・感慨にふける。
普通の人なら、何事も無い、普通の事だと思うが・・・・
この年越しも、私達には戦いに成る・・・・
今年は、三男の彼女の実家へ・・・挨拶に行く・・・之が最初の行事に成る。
一家が増える・・・之が一番、大事な部分・・・・・先祖は末広がりを願っていた筈・・・
私も彼の世に行った時に、先祖に報告する、責任が有る。
先人や先祖の、思いに答える・・・之は今生きる人の付託を受けた、責任に成る。
この流れは、続けないと・・・有史以来続いた、歴史を・・・・・たかが、100年位の価値観の変化等々を理屈に、崩壊させる事は、出来ない。
正月は、先祖を考える日でも有る・・・・・考えようでは冬のお盆と考えればよい・・・
墓参りも有るし・・・仏さん参りも有るので、親族の家に伺う・・之が基本・・・
怖いのが、一つの価値観が変化する・・・・昔は三世代が必要といわれていた・・・・年代の違う三人が考えて、変化させて行くと言う事・・・・
理由は、何度も書くが、人は直ぐ「生老病死」この部分を、忘れたり、無視して物事を組み立てる方向性が有る。
一生に繋がる大事な部分の、価値観・文化を変える・・・今の一瞬の考えでは答えが出無いと言う事だし・・長年、積み上げた歴史から来る文化・・・無知で、煩悩が多い私の場合、受け入れる方向が、良い流れに成る感じがする。
しかし、この歴史から来る文化で生活をすると・・・何故か、現代では生き難い・・・
順送りの価値観に成る・・・必ず自分の番が来るし・・その準備を先人を見て覚悟する・・・要は、人とはを学んで、覚悟する事に成る
しかし、この覚悟が無い、勿論、学んでいない事も有るが・・・結局、上手に逃げる・交わす・・・之が長けている人が、優秀と言われる時代にも成って来た。
結局、何も見返りも無い・・・墓参り・・・墓石にどの程度手を合わせる事が出来たが、人の凄さだと私は考えている。
私も後、数年すれば、還暦に成る・・・・昔では、赤子に戻ると言われる年齢・・・人様の手が必要と成る、年齢と言う事にも繋がる・・・・
数年後は、私にも、お年玉を頂ける、年齢になる・・・之を子供達に話すと・・聞く耳を持たない振りをする。
親とすれば、少し寂しい・・・・勿論、子供の背中を見れば、頼りない・・・・しかし、親に対して、頼りない背中も知れないが・・・・オヤジ・カーちゃん、背負う覚悟は有る、乗れというオーラを出している感じはまるで無いし、先に書いている様に、何か有れば、逃げる、このオーラを出している。
何故、この様に成ったのか・・・・・本来、人としての責任、この部分は出来る、出来ない等々出なく、絶対に遂行すると言う、思いが必要・・・・・しかし、この部分は放棄して・・・・・自分の私利私欲には、絶対遂行すると言う、思いが強い・・・・
私の子どもの様な人が、他には居ないと思うが・・・・親として少し、悲しい・・・
来訪してくる、子供達には、又、煩い親父だと思われても・・・言いつける事に成る・・・
墓参りに行け・・・嫁の里も大事だと・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿