2019年11月14日木曜日

尊敬する人の言葉・・・

私が尊敬する人が居る・・・
その人から、原理主義な危険な思想に成ると教えられた。

人間という本質・・・之を知っていれば、原理主義に成らない・・

しかし、何が正しいと、間違い・趣旨から離れている部分を全て排除して行くと・・・結果的に、機械的な方向に向かい、一つの正しさの為に、多くのものを無くす、排除する方向に進む・・・・

不完全な人間が、間違わない正しさを求める・・・気持ちは解るが、人間から脱する事が出来ないのが、人間である。

何度も書くが、私の好み・・他の人と当然違う・・・之が意味する事は、人により、大事な人が違うと言う事にも成る。

よく、最近、公職についている人の振舞いに対して、原理主義的は要望が多い・・・
公職に就く、公僕で有るが、その前に人間であると言う部分を忘れている様な気がする。

私の義弟は、判事だった・・・当然、赴任先の裁判所の近所に、官舎が有りそこに住む事を求められる・・・義弟も、人間であり、夫であり・・・父親である。
この様な家族を養うために選んだ職種が判事に成る・・・
勿論、事件等々で、警察が必要とする書類に、署名・ハンコを押す、この作業は24時間・・・年中無休と言う事に成るので・・・官舎を与えられているが・・・・この目的と、夫・父親としての立場も、義弟には有った。

本来はダメだと言われると思うが・・・・・家族が住む・・・自宅に、帰る・・・100km強の道のりを、愛車を使って、帰っていた・・・

家族も色々・・・父親が必要だと言う、家族も居る・・・逆に父親が不在でも良いと言う家族も居る。

この様な色々な事を、一方向から原理主義的に、批評する事が本当に、正しいのか????私は疑問が有る。

私が、怖いのが、この原理主義的、方向性は、結果的に人を不幸にしていく・・・理由は、人間では不可能な事が、当然と成る世界に成る。

簡単に書けば、人間性を無くす、方向へ進むことに成る。

人間性とは????・・・私は、何度も書くように、失敗もするし、間違いも起こす、しかし、厳然と居るし、その様な特徴を持っているのが人間・・・だから、許容力・包容力・・・・等々が有るものだし、奇麗ごとで言えば、見返りを求めない、愛を持つ事が出来るのが人間性と私は考えている。

この部分を最近は甘い・下等な人間が言う言葉等々に向かっている。

仮に、民主主義国家のは、誰が主体者か・・・当然、民衆に成る・・・国の統治者・・偉い人は???と問われれば、当然、私達、一般市民の民衆と言う事に成る。

立場の上が、本来包容力を持つ、之は当然と成る・・・しかし、庶民が・・・三流市民が・・・・と成る、社会構造が有ると言事に成る。
偉いと成れば、政治家や官僚・公職の人と、思ってしまう、習性が有ると言う事に成る。
考え方に、身分制度的部分を、確り持っている事に成るし・・・庶民は下だと言う思いが強いと言う事にも成る。

その庶民意識が・・結果、国の運営等々に影響しだす。

国に寄生する、寄生虫化すると言う事にも成る。
一番旨味を吸える、立場が偉い・優秀と言う発想を生んでいく。

その様に思っているので、旨味を吸っている筈なので、叩けば旨味を分けられると思っている人まで出て来る。

私は人は、間違いも起こすし、失敗もするから面白いし、飽きない・・・永遠に共に研鑽し続ける者だと思っている。

完璧で、否定できない、正しい・正義等は無いと私は考えている。
理由は、人間だからに成る。
しかし、人間でも出来る部分が有る・・・それは、行動できる部分・・・思いを行動に移せる部分・・・この振舞いが、何かに成る。
当然、否定する人も居る・・・肯定する人も居るかもしれない・・・全ての人が称賛する訳もない・・・

しかし、社会の中に属して、生きる立場は・・・当然、バランス感覚が無ければ、ドン・キホーテの騎士の話の様になる。

私が危惧する部分は、一極に向ける風潮や扇動を感じるから・・・その全てが、原理主義的発想が基本に有る様に感じる。

政治家も、選んだ人が居るし、逆に嫌いな人も居ると言う事・・・多面から考える事に成る・・・

昔から、夫婦喧嘩は犬でも食わないと言われる・・・当事者では解らない部分だし、その当事者自身の価値観も色々・・・他人が解る訳がない。
勿論、どちらが正しい・間違いと言う事でも無いと思う。

人は、解っていも出来ないものである。





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