何時もの後輩が、来訪して来た。
事務所に入るなり・・・・非常食で、常備している・・・カップ、焼きそばを手に持ち、母屋に・・・・
今、嫁とワイ・ワイ、やっている様だ・・・・・・
母が居た時代から・・・我家の家族みたいな後輩・・・・
腹が減ったとは、我家に来ていた。
しかし、何か我家に有ると、直ぐにすっ飛んで来てくれる・・・・前回の私の事故、10分後には、来ていた。
人とは不思議なものだ・・・・・何の、現実的、力には、成らない・・・・客観的に言えば、我家の損になる後輩・・・・・
しかし、大いに役立っている。
本来、人とはこの様な事だと私は考えている。
直ぐに、意味を求めたがる・・・・・しかし、物と違う、人は又、違う価値観が有る様だ・・・
私が経験した、人とは、何か問題、負を背負ったら、一気に潮が引く様に居なくなる・・・・之が人の動きに成るし、之が普通と成る・・・
しかし、この流れを逆らう様に、こっちに向って来てくれる人が居る。
この様な人を、私は大事に考えている。
しかし、大事だからと、その様なあしらいはしていないのも不思議・・・・・平常心で、付き合っている・・・・
私の様な、三流市民を心配してくれる、後輩を持っているだけでも、幸せだと私は考えている。
現代は、人として、付き合うことが難しく成っていると私は考えている。
人とは、失敗もするし、間違いも起こす、これを含んで、人と言う・・・・
本来、一流や二流・三流も、人と言う部分を厳然と残して、有ると思うが・・・・この人の本質も出せない、又は克復しているからの一流や二流と言う発想が、強く成って来ている。
この事が意味する事は、一流や二流は、人から遠ざかり、失敗をしない、間違いを起さない存在・・神と言うより、機械に近い存在に成っていると言う事に成る。
神も間違いを起す・・・仏も失敗をする・・・・神や仏の次元より、上の存在が、一流やエリートと言う存在に成っている感じさえするし、この立場が少し、間違っただけで、社会的に抹殺されるのが現在に成っている。
私は、死ぬまで、人として生きたいと考えている。その事は間違いも起こすし、失敗もすると言う事に成る。
この部分は、人だから当然、してしまう。人と言う括りなら恥でも無いと思う・・・・
私の考えでは、恥とは、絶対に失敗をしないと、言い切れる思いが、恥だと思う・・・当然、自分自身に言い聞かせるこの程度に留めきたい部分に成る。
夢や希望を、口から言う程度なら良いが・・・・・其れが行き過ぎる事が恥だと私は考えている。
当然回りも、人と言う括りで見てくれる立場も必要に成る。失敗もしない、間違いも起こさない、立場だと、何も出来なくなる。
昼食を済ませれば、又、後輩が事務所に来ると思う・・・・
私の、生き様を確り、見届けてもらいたい、人と彼は成ってしまった。
中学校から、悪さが元で、違う学校、施設に入れられた・・・色々、苦労しているし、私が知らない、世界も見てきている。
大事な、友だと私は考えている。
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