2017年2月12日日曜日

環境、普通・・・之が、事を複雑にする・・・

先のブログで、子供達の事を書いたが・・・・

以前も書いているが、実子、私の子供が、よく、他人の子供に何故良くすると言っていた事が有る・・・・

その時に私は、「お前らに、ジュースを買って与えても、之嫌い・あれが良い等々、色々、言う」「しかし、他人の子供には同じ行動をしたら、ありがとう と感謝の言葉が返ってくる」

同じお金を使う、私の立場ならどちらを選ぶか????当然、感謝される方を私は選ぶと、実子に言った事が有る・・・・

私も子供の時代が有る・・・・叔父さんから、買って貰った、オモチャも覚えているし、その時の感謝の思いも覚えている・・・しかし、常時、尽くしてくれていた父母の、施しに対して、殆ど覚えていない・・・

この違いは何処から来ているかに成る・・・・・

あくまで、私の場合になるが・・・・父母から色々頼まれても、面倒くさい、やりたく無い、之が直ぐに頭に過ぎる・・・・一杯の施しを受けた立場の私がこうである・・・・

しかし、数回の施しか受けていない、叔父等々から頼まれれば、その恩が直ぐに頭に過ぎり行動に繋がる・・・・・


叔父と、近所のオジサン・・・・血の繋がり、以外に、違いは無い・・・・近所のオジサンからの施しの恩も確りと覚えている・・・結果、地域事の、お手伝いも自然に体が動く・・・

地域に対しての恩を感じているからだと私は考えている・・・

しかし、同じ事を受けていて、恩に感じる、感じないが有る様だ・・・・

結局、環境の中で、勝手に、普通と考えるか、普通で無いかと考えるかの違いの様だ・・・・

普通と考える、事をしても、恩や感謝は受けない・・・・普通でない事をすると、恩に感じるか、逆に不利に感じられるかの二極に成る・・・

この普通が、環境の中で、育てられる・・・・普通以外が問題にも成るが、この部分に、大事な部分が隠されている感じがする

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