2020年8月12日水曜日

我家は独特・・しかし、社会人として子を育てる。

 私の考え方に成るが、我家は我家の方針・考え方が有るし、当然、世間と違う可能性が有るので、独特と言う部分も、教える、子育てをしている。

特に、男の子、現代は、男子でも他の家の婿の様な立場に成ったりする。

その為に、その家独特の考え方等々が、有ると言う事を確り教える必要が有る。

又、私は三流なので、世間をどう見ているか????・・・厳しい世界・・・思う様にならない世界だと考えている。

その世間に巣立てさせる立場の私は、当然、その様な厳しさも教える義務が有る。

母親は優しいでも良いが・・・その立場が有る私は、父親は当然、厳しく、怖い存在で有り続ける必要が有ると考えている。

この部分も、差別主義者と自称する私だから、各自、持ち場、役割が有ると考えている。

家庭・家族も小さな社会と捉える私は、社会への延長線上が、家庭・家族に有ると考える。

世間を選ぶ事は出来ない・・・当然、環境を選ぶ事も出来ない・・・現実の世間・環境の中で、どう生きるか???・・・又、物事に対してどう捉える事が出来るかが、育てる側の責任だと考えている。

価値観の一極化に進めば、当然、善悪と言う二極へ別ける、流れに成って行く・・・

又、究極・原理主義方向に進むのも人間の性に成る為に・・・ドンドン、正しい方向が難しく成って行く・・・この事が意味する事は、極端な話、間違いと言われる部分が増える方向に成る。

要は、人が言いる、糧に成る・・・心の充実・満足感が得難い社会に向かうと言う事・・・結果的に、環境は天国の様になるが、心は地獄の方向に進むことに成る。

この様な、唯物的部分と、唯心的部分との、バランスを、子供に教える必要性が有ると言う事・・・・

要は、お金に成らない、得に成らない部分を、知ろうとする探究心を、教える事に成る。

この様な部分は、現代では意味が無いと、教えもしないし、学ぼうともしない・・・しかし、人として大事な部分だと私は考えているし、何度も書く、生物・動物としての大事な部分にも繋がると考えている。

現代の教育は単一化した、機械的な人間を育てていると感じる、その為に、環境さえも限定した状態が、基本に有る。

私は、今有る環境が永遠に続くとは考えていない・・・変化に対応できる対応力も必要だと考えている。

限定した環境で無くなれば、その様な価値観を植え付けられて居れば、生きる素手を無くす事に成る。

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