若い時は、青年会議所等々の組織に属していたが・・・
何時も災害等々が有ると、今の自分が何が出来るか???之を、考える。
若い時の、この様な組織での、経験から、積極的に回りを巻きこみながらの方向性に成るが、結局は、各自の考え、価値観がどう動くかが大事だと、私は考えている。
当然、歳も有る・・・・若くは無いし、又、怪我も背負っている。
勿論、私が経験した、色んな事、人との関わりに成るが・・・・手を上げている、人が居れば、手を貸したいと思う・・・しかし、勇気が出無い、此処が問題だと考えている。
私の事を知っている、人達は、何時も何故と言う・・・・私ほど、人からこなされ・苛められた人は、そう多くは無いが、何故、人を信頼するのかと???
私は恵まれていると考えている、結局は、私と言う存在を認識ているから、その対応が、その人の趣向で、嫌いと成れば、当然、その様な対応をされる、この事は当然の事だと考えている。
又、相手が嫌うから、私も嫌う・・・之なら、同じ思考回路で、同じ趣向と言う事を、証明している事に成る。
人其々考え方や、趣向も違う、その価値観に、準じない人等は、多々居ると言う事・・・
しかし、その様な事は、微々たる部分に成る。
人の生き死に、直結する、場合は、基本の人としての、本当の意味での価値観、芯の本性が出る部分に成る。
之が、手を上げている人が居るなら、手を貸して上げようと言う心が出るか、出ないかに成る。
この様な、究極の部分に、それまでの経験、人からの仕打ち等々が、関係するなら、人の記憶力が邪魔をしている事に成る。
経験が、人の心、特に真心に、悪い方向に影響するなら、生きる・経験を高める意味も無く成る。
今朝も、嫁の学友が来訪したが・・・彼も、何かの意味が有り、我が家に来ている。
彼も、特徴が顕著な特性の人・・・受け入れる人も少ない・・・結果、我が家に来ると成る。
正直、今の私は、殆ど何も出来ない・・・しかし、微力だが、何が出来るかを考えている。
人とは、無限の可能性が有ると、私は信じている。
教育とは、逆境の時に、役に立つものである・・・・今まで、何を学んで来たかが、行動に成る。
現代の日本は恵まれている、個人的、趣向を、直ぐに表面化出来る。
自分の思いを直ぐに表現できる環境に住みながら、何故、心の底に有る、真心に、蓋をするのか、その理由が、今までの経験と言うなら、生きている意味は、人の嫌な部分を学び続けることと成る・・・こんな、人生なら、死んだ方がマシだと私は考えている。
今回、私の事故は、基本、人間不信に成る方向だと思うが、私は、個人としての人は信用していないと何度も書いている、元々が人間不信、しかし、私は、信頼はしている。可能性に・・・・
信頼が裏切られても、其れは仕方が無い・・・先に書いている、信用はしていない為・・・自分の信頼に対して、一でも結果が出れば、之こそ感謝に成るし、幸せだと感じさせる。
生きる、価値観を、培う為の、学校教育、社会教育だが・・・現代は、其れが無い様だし、人を誹謗したり、蔑視して生きる方法を教えている様だ・・・
嫁が、帰って来たので、子供のスマホで、何か寄付が出来ないか考えている。
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