2017年6月12日月曜日

人の喜怒哀楽の表現が禁止・・・

最近、運動会等々の地域、行事が盛り上がらない・・・

又、数年前まで、ドッチボールの地域チームで我が子も頑張っていたので、スポーツに接する事が、有ったが・・・・

数年前に、投げて当てた選手がガッツポーズをする、事が禁止され・・・・観戦側の親達が「打て・負かせ~~」等々の、表現も禁止され・・・

小さく、「良くやったと」、回りに聞えない様に、表現・・・・この方向性に成った・・

結果、観戦者の親、お母さん達は、纏まって、世間話で花が咲く環境に成っていた・・・


応援しても、声援之に、規制がかかれば、応援の仕方が問われる事に成るし・・・・応援自体が難しいなら、試合に集中しない方が良いと成るのも必然・・・・

この流れが、学校等の、運動会にも有る・・・・・

その為に、部落対抗の徒競走も、盛り上がりが無い・・・・

観戦側も、単純に拍手・・・之しか、応援のアピールが出来ないと成っている・・・・

誰かが文句を言うから、この方向に進む・・・・・

応援の一言を問題視すれば、問題が有るかも知れないが、其れが人の気持ち、相手が嫌いだから、負かせとわ言っていないが・・・・今は、捉え方の方を重視する流れが有る・・・・

変な時代に成って来ている・・・・上手に取り入られる方向性を模索する・・・この生き方が求められる方向に成ってきたら・・・・古風な日本人的、発想が薄れる方向に成る・・・・

権力・力が有る方向への、摺りより、上手い取り入れらる方法との長けている価値観も、古い価値観の私には無い部分に成る・・・

略、毎日、嫁は実家の父の入院先に、伺っている・・・・人の子としては当然の行いと考えている・・・・

考え様では、経費を使い無駄と言う考えも有る、完全看護体制の病院に行く、必要性は無い・・・

しかし、弱り、劣って行く、父に、合いたい、之も子供として当然と思う・・・・

しかし、この行動も、見方が多々あり、取り様では、逆に悪い様にも言われる世界である、この様に成れば、何の行動も人に対しては出来ない、環境を作っている事に成る・・・・

人は動物で有る、喜怒哀楽が有り、感情が有る・・・この部分を、どう、処理するかが知識に成る・・・・

しかし、知識が、悪知恵・・・方向に使えば、全ての現象が、悪になる・・・・・

現代、善意が、逆に悪に見られる世界である・・・・・

簡単に書けば、転んでいる人に手を貸したから、その次に起きた現象が悪ければ、手を貸した人が悪いと成る世界・・・・・

善意の行動か、そうでないかは、その本人の心しか解らない部分を、周りが推測する・・・・・・

こんな時代なら、手を差し伸べる行動さ、しない人が増える・・・・

善意が、善意で終わらない世界、又其れを利用する、又悪用する人まで出てきている事に成る・・・

価値観の多様性は良いと思うが・・・・問題も有ると言う事になる・・・

この様な環境なので、子供達が集まれる家も無い・・・・友達の家に行くという当然の行動も、受け入れ側が拒否する流れを作っている・・・

我家には子供達が集まってくるが、人から色々、ご指摘、アドバイスを頂いても居るが、その言葉が全て、親が問題、この様な行動を過去された当等の部分が耳に入る・・・・其れが全てと私は信用していないので・・・受け入れているが・・・・

現実にお金を毟り取られた等々の話も耳に入っているが、子供が悪いとは考えていない・・・・

結局、最近思うことが、善意も、損を覚悟の上に、出来る部分と考えるように成って来た・・・・

善意を利用して、得しようとする人も居るし、其れも覚悟の上と言う事に成る・・・・

昔から、善意は損・・得は無くなるが、徳を積む方法だと考えている・・・・

特に私の様に、バカは、捨て銭を使う方向に向う・・・其れでも良いと考えている・・・・

この部分が無ければ、子育ても出来ないし、結婚生活も続ける事が出来ないと考えている・・・・

家族にも手を差し伸べる事が出来ないなら、他人には尚更出来ないと私は考えている・・・





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