総理が・・・小中高の学校を、来月の二日から休校とすると発言した。
之が意味する事は、当然、感染病対策だが・・・我家は大変に成る。
勿論、子供と言っても高校生が居るだけで、それ以下の子は居ない・・・その為に来る子供達も、今の祭日の多くても、六人ほどと思われるが・・・
その子達が、来月は、我家で過ごす事に成ると思うと、気が重くなる。
勿論、孫等々は、我家の問題なので、大きな問題とは思わないが・・・他所様の子を看る、この部分が大変という事に成る。
若し、問題が有れば、当然、今までの経験では、我家に責任が有ると言われる事は、予想できる。
しかし、子供に責任は無い・・・結果、来る子を拒む事は、私の嫁は出来ない筈である。
要は、嫌われる私だけなら、来る人は居ないが、好かれる嫁が居る、之が良いのか悪いのか、時と場合で変わる事に成る。
又、出費も増える事に成る。
貧乏で余力が無い、家の我家に取っては大問題と成る。
本来、子育てに、地域社会・又は爺・婆の関りが本来の姿なので、問題も少ないと思うが・・・今の日本国に、この様な環境が有れば、良いが・・・私はそのように思っていない。
安心・安全な環境を壊し続けて来た価値観が、正しいと思っている、いざという時にその報いが来る・・・・・
昔なら、何度も書くが、堀に落ちた子を助ける大人は多々居たし、それが当然と言う社会だった。泣く子が居れば、家から飛び出してくる大人も地域社会に大勢居た・・・村に子供を預けている、この安心感が、親に有ったから、子供を村に残して、外へと出る事が出来た。
しかし、この部分を壊し続けた、現代・・・・子供を残して、外に出れるか????現代では、養育・育児放棄と見られる世界に成っている。
子供が休む、当然、大人を必要とする子も居る。その子供を誰が看るのか????今なら当然、親と成る・・・親が看れるか????・・・・出来ないと成るので、少子化に向かう・・・・
他の動物に比べ、子育て期間が長い、之が人間の特性と成る・・・・その期間、当然、人が増えるので、食べる為の行動も多くしなければ成らない・・・之が意味する事は、子を看る時間が無いと言う事・・・・その為に、生殖能力が無くなると、寿命と言われる、動物の世界で、何故か、人間だけは、無くなっても、寿命が有る意味と成ると私は考えている。
爺・婆の居る意味にも成る。
爺・婆を捨てて、己だけに成って、家庭を持つ・・・之は不可能に挑戦している事と、気付いていないのが、現代の人達に成る。
若し、この処置が、保育園・幼稚園まで、広がれば・・・・当然、子を看る必要性が高まる。この部分を誰がするか????・・・現代なら親と成る。
勿論、両親が居て、片親は糧の為に稼ぐ・・・後残りの親が、子守・・・之も可能だが・・・片親なら、両方を同時には不可能に近い・・・
この不可能に近い方向を、何故、人を望み・選ぶのか?????之も、私は不思議と思っている。
しかし、先先に書いているブログの様に、地域の安全を守って居る人達が、子供に声掛けも嫌う親が出て来ている現状が有る。
それが、意味する事は、全て己で賄えると言う、自信が有ると言う事にも成る。
本当に、自信も実力も持って、その様な振舞いをしているなら、良いが、それが見栄や、格好だけで、現実は、大きく違うなら・・・・大変な事に成るし、その様な事は、見え難いので、当然、国家のリーダーも解らない・・・
耳に入り、見える部分での判断に成る。国民が余裕が有り、十分な貯えが有るから、一流の物を持て、維持できると思っているなら、今回の処置も何も問題ない。
しかし、私が肌で感じる、現実は、見えている・聞こえている部分と180度違うと感じている。
余裕が無いが、それが知れると、除外される・・之が怖いから、見える部分だけはと見栄を張って生きている人が多いように感じている。
要は、生きる事は格好良い、之を望んでいるし、それでなければ、除外の危険性が有る、之が現代社会と言う事・・・・私は、生きる事はドブ臭い・泥を噛む様な思いで生きている、見える姿が、当然、汚いし・口が裂けても格好良いとは言えない・・之が本来の生き方だと私は思っているし、その様な人ほど、私は尊敬している。この様な生き方を、現代は、人間臭い生き方と言う・・・
何故、人間が人間を目指さないのか????と疑問を持つ部分でもある。
何故、絵に描いた餅を得る、生き方を望むのか????・不思議である。
今回の国の政策で、誰が大きく困るのか????当然、子育てをしている親に成る。
之が、結果的に少子化にも向かわせる事にも成る。
勿論、異端児の私の考え・・・一般の人は余裕が有るから、子育てしていると成る。力が有り、優秀だから何の問題にも成らないと思うが・・・現実は、異端な私の考えなら、私と同じ、異端児と言う事にも成る。
ドンドン、予想通りに、向かっている・・・・人は一人で生きていない、人との関りで生きている。その為に、人は大事だし、大事だから、当然、その恩に答える、之も大事に成る。
若し、この感覚が無ければ、この問題を作った、原因は、今回の感性病だと言う事に成るし、それを、バラまく人と成る。
私は、色んな事が、起きると、何度も書いて来た、個人ベースでは処理できない問題が、今世紀に起きる。その時に、再度、人との繋がり縁の大事さに気付く事に成るが、若し、気付かなければ、同じ現象が、今後も起こり続けると私は考えている。
他人と、己の、垣根を高くする、世界への反省が、今後続くと私は考えている。
0 件のコメント:
コメントを投稿