2019年11月20日水曜日

政・・・まつりごと

まつりごと・・・国も有るし、地域も有る・・・当然、家も有る。

大きな事は解らないが・・・小さな単位の集団・・・家位のレベルだと私でも理解できる。

家でお祝い・祭りごとを行う時が有る。
家族全員の要望を聞けるだけの能力が私は無い・・・

仮に招待客を選ぶ・・・私の結婚の時も有ったが、父の友達等々も呼ぶことに成ったし、父の商売関係者も多く招待していた。

勿論、私の為の披露だが・・・・父の顔を立てる・・・この部分に私は疑問を持たなかったし、それが家長に対しての配慮・尊宅と私は思っていた。

家と言う単位での祭りごと・・当然、家長の尊宅が優先されるものだと思っている。
しかし、現代なら、当然、私の友達等々・・・息子達の結婚披露に呼ぼうと思う事も出来ない環境に成っている。

現実は、昔は家の為と、頑張る家族が多い状態でこの様な感じ・・・現代は、自分の為が強く、家の為等々を思っていない家族が多い中で・・・何故か家長の尊厳が無くなって来ている。

この部分も家族の寄生虫化が問題と考えている。

家の尊厳に関わるから、家長だけは恥をかかせない・・配慮が昔は家族側に有った。

要は、家の看板たる人の、恥をさらすような恰好を許さない、家族が居たと言う事・・・

その為に昔は長が付けば、格好もそれなりに良かった。
しかし、現代は、長が付く立場でそれを実践していると・・・恰好等気を使う事も出来ず、ぼろ雑巾状態で必死に、匍匐前進している姿に成っている。

この様な状態なら、子供達は、責任者たる長を目指すか?????・・・当然、目指さない・・・結果・・結婚もしない・子供も作らない・・・永遠の寄生虫として家族に存在する事に成る。

昔は尊厳が有ったし、近づけない、力さえ感じていた長が・・・現代は、汚さで、近づけない存在に成っている。

昔は、家長は、他の家との関係性に注視する立場・・・この部分も家長としての仕事が有った。

他の家から、若者を出すなら、我家からと成る・・・この様な競争心も有ったし、それが地域社会で潤滑に動き・働いていたから、維持も出来ていた。

現代は、仮に、地域のドブ掃除と成れば・・・力も体力も居る・・・本来・各家からその様な立場の人を、出していたが・・・現代は、居ない・・・又、それに平等と意識が強いので・・・出さない家が認められているなら・・当然、協力しないという家も出て来る。
結果として、ドブ掃除も、市の行政が行う方向に向かう。

我が地域では、堀の泥上げ等々も・・地域で行っていた。しかし、それも今は無い、無ければ、当然、堀はドブで埋まり、浅くなる・・・治水能力が落ちる方向に向かっている。
結局は、行政がその部分を、行う事に成るが・・・数十年に一度、程度のサイクルに成る。

家と同じで、地域や国の、長も、昔と比べれば大変という事に成る。

家族内を見ていても、平等と言って、他との違いを言う、勿論、得る為に・・・この様な平等観なら・・・無くす方向に何故ならないのか???

仮に、私は持たない・・・しかし、周りは持っている・・・この平等観なら・・周りの持っている人が持たない努力をした方が簡単に成る。

平等と言っても欲から出ている部分が多々ある。

私が何度も書くが、奇麗ごとを言うなら、その様に本人が行えば良いが、何故か他人に押し付ける・・・
貴方が、この方向が良いと思うなら、どうぞと言う事に成る。行ってください・・・

暴力はダメだ、非人道的と奇麗ごとを言っているが・・・言葉のとげを感じる・・人を蔑視する様な言葉・・・之も私は暴力だと感じる。

出来もしない、奇麗ごとが先歩きし過ぎれば、当然、社会悪と言う部分も増えて行く。

家長として、どう家族を守るか・・・対外的部分も有る。
他の家との関係性も出て来る。
周りの家族が、拳銃を持っている・・・又、自己中の自己の価値観以外を認めないと成れば・・・どうすれば我家を守れるかも、家長の責任と成る。

又、別の目線、家族内からの目線にも答える事が求められる。

この二極に対して、バランスを保つ事が求められるが・・・・家庭内が理想主義過ぎて他の家の事は知らないなら、当然、バランスと保つことが難しく成るし、家長として軸足をどっちに置くかが大事に成って行く。

多くの父親が・・・子供とも時間を作り、共に過ごす時間を求めている、しかし、現実は、生活の為の仕事が優先に成る。
理由は、同じ事、子供や家族を守る為に成るが、方向性が違う・・・
この方向性が違うから、悪だと善だと言うのが現代に成っている。

子供が大事、だから側に居たい・・しかし、食うための稼ぎも必要・・・
この部分は、矛盾と言うより、必然と私は考えている。

しかし、この部分が矛盾だ、だからどの方向が正しい等々の意見が最近は多過ぎる・・この部分は、家長が選ぶ部分、他が批評するもので無いと考えている。

私は古い価値観の考えに近いと思う・・・その為に、家の恥は己の恥と感じる。
しかし、その部分を言う事が、現代は必要と考えている。

人間は、完璧でない、心配もするし間違いも起こす、この立場で家長を行っている。
当然、叩けばホコリも出る・・・そのホコリが当然有ると、私は日頃から言っている。

若し、この部分が、恥だと考える方向性だから、隠す事に成るが・・・隠してもそれを知っている他人が居たり、他の家が有ったりする。
当然、バラされたくない・・と成れば・・その様な人や家から利用される事に成る。
要は、恐れている物が有るが、それを隠すから、恐れるものの連鎖が始まる。

テレビ等で、国の祭りごとに、色々コメンテーターが言っている。
当然、奇麗ごとに成るが・・・言っている本人が、家長として・又は地域の長として確り、出来ているのか????・・・私は疑問が多々ある。

それも、家の中の事に成る・・・理想主義者なら、当然、恥の部分と成る・・

仮に、家の家長の、気に食わない部分を家族が、言いふらし回っている・・良い家族と他の家は思うか????

家長が、我家の実情を話していた・・・・良い家長と思うか???

勿論、その両方が、嘘の場合も有れば、本当の場合も有る。

仮に地域社会と言う、家の集団を考えた場合・・・家長が我家の欠点は無いと言っている場合・・・他の家からの信用を得たいと考えているが、下心は信用してくださいと成る。

逆に、我家の実情を正直に言うと言う事は、他の家から多大な信用や期待を得難いが、それが真実なので仕方が無い。

家で物事を考えると、よく解り出す。

お金が欲しい、家も有る・・・理由は、支払いが多いからに成る・・・当然、家長な家族に、多くの汗を流し、頑張ってくれと成るが・・・それを求めない家族が居たら・・・
何処からか、お金を持ってくることに成る。
当然、正規のお金で無い、方向の方が向かう。

若し、家族の価値観が、汗も流さず楽に、利を得たいと成っているなら・・・家長はどの行動に向かうか???・・・答えは解る事に成る。

社会や国と言う、大きな単位でも同じ・・・そこの属している人の価値観で決まって行く・・・
基本は、自業自得・・・・負も利も表裏一体と言う事・・・・人の心の些細な違いで変わると言う事・・・捉え方に成る。




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