人と言っても、色々な人が居る。
之を、一括りにするのも無理が有ると私は思う・・・・
しかし、何故か、人の姿がをしていれば、全てを人と、括り、人権等々と言い出す。
勿論、人権は大事だと私も考えるが、人の数、対処が違うと私は考えている。
個の対処が違う事を、差別や、人権無視と言う人も居るが・・私は、理屈が解らない・・・
私は、人を信頼する。之を、基準で、後は、人の個性で・・対処を変えるようにしている。
信頼をしなければ、最初から対処等考える必要も無いし、その人に近づかない努力をすればよい事に成る。
難度が書くが、言って聞かせても無理、見せても無理・・・どんな策を用いても無理と言う人が、居る・・・この人を、誰が背負うかが、問題に成るし、その部分が、人権等々と言う事だと私は考えている。
自分の生活が大変に成る、共倒れ名に成る・・この様に予想されても、人が大事と言う部分が有るので、背負う事に成る・・・近所の老婆を看取ったのも、この思いが有ったからに成る。
当然、言って聞かせても無理、見せても無理、何をしても、無理で、私が最悪の予想をしていた方向に向かい、最後は、チヤホヤしていた、周りの人達も、予想通り、潮が引くように居なくなった・・・結果、誰が背負うかは、私しか、居ないと成る。
人も、色々、仏法的には、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道。人道、天界道、声聞道、縁覚道、菩薩道、仏道・・・と有る。
人は、六道輪廻とも言われる。地獄から天の間を、一瞬で言動き続けている。
考え様では、地獄の命の人も、人と言う事・・・同じように、天界の人も、人と言う事・・・之を同じ、扱いにする。
少し、無理が有ると私は考えている。
仮に、子供を、別名で、ガキと言う事が有る・・・理由は、餓鬼道の命が強いからに成る。我欲が無限だが、可能性も無限・・・この様なタイプの、扱い方が有ると私は考えている。之が、子育てに成るとも考えている。
考え様では、喧嘩速いし、直ぐに啖呵を切り、分以上に虚勢を張る。この様な人は、修羅道の命が強いという事だが・・・可なり、人道に近い、ポジションと言う事に成る。
言葉で、この様な、修羅道の、命の人が、「畜生以下・・」と言う事は、言える事だし、畜生以下だから、餓鬼道・地獄道の命が有るという事に成る。
再起に書いている様に、この色んな、命の次元を、人は、一瞬に移行し続けて、生きている。その為に、同じ人でも、時と場合では、対処を変える必要が有るという事・・・
しかし、現代の価値観だと、一つの対処で、全てを、賄える方法を、模索している事に成る。
私は、有りえるわけが無いと考えている。
人に応じた、対処が色々あるという事に成る。
仮に、餓鬼道の人の命に上を目指せと響く、振舞いとは????・・・当然、頭に残る、強く言えば、嫌われる可能性の方向の、振舞いの中二有ると私は考えている。
結局は、その世界の中で、耳障りの良い、囁きは、その世界を脱する力を削ぐ方向にしかならない・・・・耳障りが悪いから、何故と疑問を持ち、模索・悩み前へと進める、これが、分を脱する、力と成る。
看取った老婆を例に挙げれば・・・命は、餓鬼道・・・しかし、境遇の一部、お金に関する部分は、大金持ちに成られた・・・餓鬼道の命のまま、天界の境遇に成られた・・・
それが、自慢なのか、欲深い人々が、囲みだす。
それを、自分の力だと勘違い、結果的に、利用されるが・・・それも仕方が無い部分に成る・・・結果、一文無し・・・・地獄の境遇に成られた。
当然、周り居た、人達は、利用したいと集まっているので、利用できない場合は、その場から、消えて行かれる。
老婆に取って、耳に痛い、聞きたくも無い、この部分を私が言い続けていた。
正直、私が一番嫌いなタイプに成る。しかし、誰も、看る人が居ない・・・親族を回っても、無理だった・・・
背負う事に成ったが・・・・あの世に行かれる、数か月前に面会に行った時に・・・人が変った様に、帰る、私達夫婦に、手を合わせて、有難うでなく、御免ね~~と、涙を流されていた・・・その時、人は変れると、私に確信が持てた。
私は、現代は、同じ物差しで、人を判断する方向に成っている。
又、その物差しの、範囲内に留まる人を、人と仮定している感じがする。
勿論、それ以外の人も居るが、仕方が無いから、人として認めている的、感じがする。
しかし、物差しの、範囲内は・・誰も否定できない、範囲に成る。
結果、その範囲に、全てが入る人は、僅か、少数の人と成るが・・・この部分を普通と基準化する、流れまである。
私は、当然、三流なので、その範囲内に入らない。
全てが、半人前だし・・・素人に毛が生えている程度・・・
一般庶民とは、私のような、レベルだと私は考えているが・・・現代は、超一流の人達が庶民と言う事に成っている感じがする。
無知だから、失敗もするし、事を上手に進める事が出来ず。難儀するし・・・遠回りもする。解っているなら、出来る事が、解らないから出来ないし、間違った方向の振舞いもする。之が、庶民と私は考えるが・・・それも、認められない、世界へと向かっている感じがする。
子育ても、保育士の免許が居るし・・教員免許が居る・・この様に向かっている。
人を育てるのか????・・・機械的、物を育てているのか???
その子供が、大人に成った時は、当然、周りの環境も、機械的、一極的方向の世界なら、良いが・・・若し、三千世界と言われる、人々の色んな価値観の中の世界なら、溶け込むことが難しくなると私は、考えている。
色んな人が、居るから、面白いし・・・又、学べる部分が多々ある。
異質だから、学べる点が多いという事・・・・
若し、この価値観、異質が居ない世界を求める、命が有れば、ファシズムに向かう事に成る。
独裁者を、心の奥底では、羨ましく感じる、命が有るという事に成る。
同じ、中心者だが、人の負を背負う王とする、振舞いが、菩薩業と言われる。
同じ、中心者でも、菩薩と独裁者とでは、大きく違う。
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