今日は午後から、色んな人が来訪された。
先ずは長男家族・・・・仕事の件で、色々な相談・・・
それに、何時も来ている、後輩が来て、私と後輩が事務所で会談していると・・・・
事務所の前に、車が止まる・・・後輩と私の先輩になる・・・・社長が夫婦で来られる・・・
暫し、世間話で花が咲き・・・又私と後輩を暫くは、雇ってもらっていた、大事な人になる・・・・
その後、地域の秋祭りの件で・・・責任者が来訪・・・今まで話をしていた。
嫁も仕事をしているので、地域事に協力も出来難く成っているが、この部分も住民としての責任が有るので、出来るだけの協力はしたいと考えている。
先輩から、九州の財界の人の逸話を話して頂き・・・無知な私も少しは勉強が出来たと思う・・・
人の見かた、捉え方を鍛える・・之が大事だと言う事を再度、知る事が出来た。
人は如何しても、見せ方を気にする・・・・しかし、見かたでは、その評価も色々な事になるのは当然・・・唯、自分に取って、助言や叱咤と思える、見かたをする之が大事だと言う事・・・
どんなに努力しても、其れを見ている人がどう判断するかは、相手次第・・・・この様な部分に、勢力を使うより・・・・見え方の目を鍛える、聞き方の耳を鍛える・・之が大事だと言う事に成る。
この部分を広げて、全て許容できる、能力が自分に有れば、鍛える事も要らないと思うが、私の様な三流の人間は、非常に大事・・・・・・・
見たくない・聞きたくない之が多々存在するし・・・其れを見たり、聞いたりすると、やはり心が荒むし相手を憎んだりする心が存在している。
この部分を全て学び、勉強と心が認識できれば、叱咤に成るし激励に繋がる・・・
この部分が、長男には無い、自分の我と違う之を敵として判断する心が有る・・・結局・敵として処理しているが、敵以下の人として見ない・・蔑視に繋がっているとは気付いていない。
敵と思うなら、相手を知るために、多々ノ努力もするはず・・・しかし、この努力もしないと言うなら、基本、嫌いで片付けている、蔑視の命が存在すると言う事・・・
この様なタイプは、指摘しても、耳に入っていない、目に見えていない・・・結局、誰も指摘しない、人と成って行き・・・最後は孤立化する。
この部分は三流の私の血にも流れている・・・起きている現象を客観的に捉えて、判断する・・・之が出来ず、個人の志向で、物事を組み立てる、この部分が厳然と私にも有る。
よく、聞き上手に成れと言われる・・・この事は相手の価値観を、受け入れる許容力が必要に成るし、人として幅が必要に成る。
こうなれば、相手の話の本質も見え出すし、その中で、自分が何を努力すれば良いか、自分の欠点まで、見えてくると言う事にも繋がる。
最近は、単純に誰々が悪いと、一部の問題を大きく指摘して、人そのものの人格までも攻撃する、之が正儀と言わんばかりの、現象がよく目に入るし、耳に入る・・・
人を除外したり、蔑視する方向が、本当に正儀なのか????・・・・私は、疑問が有る・・・
人は基本の部分が有り、その基本に乗っ取った、行動に成る。
基本が個性に成るし、その人の価値観にも繋がる・・・
何事も基本をどう創るか、之が問われている。
この基本部分は、本来、青年期に創る事が本来と思うが・・・私の様な歳でもまだ、勉強中・・・・
この基本を創る作業を辞めた瞬間に、人の固定化が始まるし、自分自身の価値観の変化も止まってしまう。
出来れば良い、基本を模索し、求め続けたいと私は考えている。
勿論、私のレベルでは、全て難しいし、苦労が多くなると思うが、之が人に与えられた使命とも考えている。
以前はどう振舞うかを強く意識していた・・・しかし、最近は人の振舞いをどう、見るか・聞くか・・・この部分が大事だと思う様に成って来ている。
人が何を伝えたいのか、其れを聞く・見る・・・目や耳の鍛錬に成る。
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