間、一度の目覚めで・・・・何時もの起床時間まで、熟睡できた。
4時起床時間が私の普段・・・・早起きは三文の徳と言われていたが・・・・私の場合、三文以上の徳は得てたと思っている。
仮に、4時から8時までの時間の有意義かどうかは別問題だが・・・三文の徳と言われる様にお金と考えれば・・・4時間の金儲けが出来る。8時間労働が一日の仕事量とすれば・・・半日分の仕事、対価を頂けると言う事にも成る。
このお金を、寝て、見捨てるか・・・見捨てる事が出来ないと思えば、如何するか???・・自由主義国家の日本国・・個人の自由意思で決める事が出来る。
又、労働基準として整備されている・・・結果、短時間パワーとは周20時間が上限と成っている。しかし、現実の人間は28時間、現実の時間は有る。
それを如何使うかも個人の自由に成る。
私の場合・・・父の事業の失敗の負債が有った・・・生活の為のお金と言うより、見栄の為のお金、借金が多かったと思う。そのお金が有ったから私も育てられたし、借金の責任の一端は、子供で有った私にも有ると思って居たので・・・○○家の家族として返してきた。
その為に、生活の為の稼ぎが足らないと言う事は、私は不思議でならない・・・要は、衣食住である。この部分は、ピンからキリ・・・・節約も出来るし、レベルにも合わせる事が可能・・・己の能力・力に合わせれば、容易く生活できるはずと私は思っている。
その為に、生活の為、生きる為に、借金・お金が足らないと言う言葉を聞くと、私の頭は????状態に成る。
今の日本国、働き方も国が基準を確り作っている。勿論、基準通りにしたいと思う人も居ると思うし、俺は己の考えでと言う人も居ても良いと思う。
結果、国の所得の一ヵ月の基準の三倍を稼ぐこと等、少し、キツク・無理すれば可能と言う事・・・三倍稼いで、半分のレベルで生活設計をする、当然、残り出す。お金がと成る。この様なお金がなければ、見栄等で作った借金の返済は出来ない。
之も自業自得である。
私は、早起きだとは思って居ない・・・私の普通の時間の起床と思っている。
差別主義者と自称するんで言えると思うが、分相応の生き方をしているだけである。
私は誰しも、分が有ると思う・・・当然、違う・・・己の分に応じた生き方が一番楽だと考えている。
人に合わせても不幸に成る場合が多い・・・他人の普通より、己の普通を探し出す事だと思うし、それが、一般と大きく違えば、何故と、勉強すれば良いと考えている。
要は、他に迎合する必要もないと言う事・・・俺は俺・・・
何時もの行動・・・私独自に成るが・・・今日も・・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿