何度か書いているが・・・先のブログに書いたが・・
同じ給食を食べている・・・この環境は同じで、結果、境遇は同じと言う事・・・
しかし、その環境・境遇の取り方が、人で変わる・・・この部分が境遇だと私は、考えている。
境遇が悪いと考え、それを悔やむ人も居る・・・逆に同じ境遇でも、十分、幸せだと思える人も居る。
境遇が悪い原因は、食べ物と思い、それを、人様にあげる行為をする人も居るし、当然、その食べ物を食べることを幸せと考えている人なら、感謝も出来るし、幸福感も得ることが出来ている。
同じ境遇でも、人が変われば、心の作用も違う事に成る。
この部分は同じ人間なら、イメージしてどの様な顔色か等々、想像が付くと思う。
勿論、貧しいから、飢えているからと、蔑む事をいう人も居るが、その人の顔色は???イメージが付くと思う。
しがめた顔をしている事が幸せだと私には見えない。
最近は、心の作用より、現実の作用を気にしている。
今日、夕方、後輩と話していたが・・・・仮に、溺れている人を、見た・・・この瞬間に助けたい・手を貸したいと思った。
その衝動で、行動して結果、飛び込んだが・・・初めてその時に自分は泳げないと気付き、溺れて死んだ。
この現象を見て、如何思うかに成る。
利他に生きた行動だが・・・何度か書いているが、自負の部分の許容力が無く、潰れたことに成る。
現代の価値観は、利他の行動が出来る事は、その前提に自負の許容力が有る等々考えていない、要は有り余る余力がなければ、出来ないと考えている。
西欧の価値観に近い・・・
力がなければ、利他の生き方が出来ないという考えに成る。
この価値観なら、先の行為は馬鹿がすることとなる。
自分の力も知らず・・・これが馬鹿だと成る。
しかし、思いは凄いと私は考える。
若しかすると、泳げない事は解っていたかもしれない、その怖いという思い以上に助けたいと思う、気持ちが沸く・・・これは勇気が有る人だと私は考える。
よく立派という、言葉が有るが・・・どの様な行動が立派か???・・・
この部分も各自の価値観で変わる部分に成る。
人は、算数的価値観では判断できないと私は考えている。
計算通り事を進める、この方向に人が向かっている感じさえする。
人は、機械や数字では無い・・・人は人だし、当然、一般に言われる馬鹿な行動をする、これも 人間らしい点である。
何度か書いているが、耳障りの良い・・・・これは耳によく聞こえる・・・又、為るほど表面的に、受け入れる事が可能である。耳では聞いているが、心には効いていないからに成る。
例が先に書いた、利己主義、これは誰しも、駄目だと簡単に言える。しかし、同じ様な意味に成るが、他負主義・・他人に負をと言う考え方は、否定できないと直ぐに心が思う。
同じことで、利他主義・・・耳障りが良い・・・しかし、自負主義・・・自分に負を下さいと言う生き方、心が拒絶すると思う。
単語や用語も、耳障りの良い・・・又、悪い、この二つが有る。
本当に利他主義が良いと思っているなら、当然、自負主義でも有る筈である。
世間に蔓延している、言葉等々は耳障りが良い、その方向に向かい続けている。結果として、心の本質から、遠ざかる方向に成っている。
結果、境遇が良くなっていても、心の世界では、妬み・不満・等々が蔓延する方向に成る。
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