父の面会に、病院に行ったが、タンスの中は空っぽ・・・
妹は買い与えていると言っていたが・・・昨晩の電話で、嫁との話で・・・下着や寝巻等々の衣料品を、妹の家に送ることになったとの事で、今朝から運送業者に持って行ってきた。
人として生まれて居るので、当然、親が健在なら、その世話をする、之も有るし、自分の子供が居れば、それの世話をする、之も当然になる。
三流と私は自分の事を言っているが、人なら当然、考えなくても、処理できる部分と思うが、私の場合、この当然の部分も、色々、考えるし、悩みに成っている。
簡単に言えば、当然という部分も、苦労するレベルという事に成る。
この義務と責任を果たしてから、自分の事になるが・・・・当分、自分の事で悩む事には成らないと考えている。
世間には、自分の事等々を重視して悩んでいる人が多い・・・凄いレベルだと私は考えている。勿論、之が普通という事に成るので・・・凄いレベルの人達が大勢居ることになる。
能力が有れば、全て簡単に処理が出来る・・・無いから、苦労をする事に成る。
誰しも、背負ってるものが違うし・・・処理をする量も違う・・・・特に、祖先が先送りにしている部分は、私の代で処理をしてしまう・・・之が求められていると思うが・・・中々、出来ないで居る・・・
勿論、私自身が作った、責任と義務も有る・・・当然、この部分は、過去の先祖の片付ける部分が有るので、出来るだけ、自分の代では作らない方向で、生きてきた。
又、私が頑張っても、処理できない場合があるので、後継者も必要になる。
昔から、「自分が巻いた種は自分で刈り取る」と言われている様に、之が出来る事が普通になるが、それ以前に、祖先が巻いた種の刈り取りが有る。
社会に当てはめても一緒だと考えている、先ずは先人が巻いた種を確り刈り取る・・・この部分を意識しながら、自分も種を巻く・・・・
之が無ければ、後世の人に多々に背負わせることになる。
有る人が言われていたが・・・・還暦の意味で、この歳年に成るまで、先に書いた、過去からの責任・又は未来に対しての義務・・・之を全て終わらせる年齢と言う事、この年を越えて初めて、自分の事を考え出す。時だと言われていた。
自分自身を考えた場合、後二年ほどで、還暦前の宿題を全て、完結できるか????無理な様である。
しかし、最近は、死ぬまで、若者と同じ事を求められている。「生老病死」之も無視するか、考えない、方向性に成っている。
老いる事も許されない・・・病に成る事も許されない・・死ぬ事も許されない、結果、産まれる子供も減りだす。
この価値観なら、老いる事も不幸と考えるし、病に成る之も不幸になるし、死ぬ之も不幸になる、産まれる、之も不幸になる可能性が有る。
人が生きる、意義が無くなる。
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