嫁が仕事を休んでいる・・・・・・妹が色々父の入院の為の手続、介護認定作業の為に、父の地元の我が市の、役場等に行く為に・・・・しかし、メールで、今日は、父の処に行くから無理に成ったとの事・・・
その為に、父が居た為に出来なか
った、片付け等々を行っている。
しかし、嫁が言うが、妹の言葉には、環境が悪かったからという思いが有るようだ・・・其れが意味する事は、私が悪いと言われているように感じると、言っている。
結局は、言葉の使い方、父が可哀そう、之は実子の私も同じ思いが有る。しかし、現実はと成る。
この話を、如何、組み立てて、相手に表現するか???・・・此処が難しい、現代はパワーハラ等々、聞く側の思いが尊重される方向に成っている。
同じ話をしても、聞き方で感覚が変わる・・・その為に、相手に合せた話し方をする事に成るが、今度は、平等性等々が問題に成る。
趣旨を確り伝える、之が難しい、之が好き!!と言い切ってしまえば、逆の方向性が嫌いだと相手が、思う場合も有る。
この人が、彼女は、貴方の方向性を嫌いと言っていたと、言う場合も出て来る。
言って居ないが、言って居たと成る、危険性が有る。
よく、嫁は、私に卑怯だと言う事が有る、何故なら、之と限定した答えを言わない為・・・・理由は、ダメと言って居ても、結局はする奴はする・・・その処理、尻拭きは当然、私がする事に成っている。
ダメと言ってしまえば、当然、この様な時に、怒りも増大するし、その怒りで組み立てた、言葉で行けば、何故嘘をついたと、責める形に成る・・・本心では信じて居なかった筈なのに、何故か、この様な言葉を吐きだす。
人は、各自、レベルが有る、出来る事、出来ない事が有る。
出来ない事をせろと責めて、「します」嘘を付かせる、話し方が有る。結果、出来ない場合の方が多い筈、しかし、出来なければ、「何故と」聞く・・・答え様が無いのが本来だが・・・口から理由を言わせる、当然「努力が足らなかった」言わせるが、之も嘘の上に嘘を、強要している事に成る。
どう行動すれば解らないで居る人が、努力、何を努力するか???之も解って居ない筈なのに・・・と私は考えている。
結局は、この場から去る方向の誘導をしている事に成る。
他人で、何の縁も無い、人と思えば出来る、策に成る。
家族や、組織等に確り属して、永遠に絆を深めようと考えている人に、この策が使えるか???
基本、私は、約束をしないタイプに成る・・・・受身の約束は、私の意思で無い為に、必然的に受ける事に成るが・・・・相手に約束を強要する、この様な事は、極力避ける事にしているし、三流が、この様な事は出来ないと考えている。
受身の約束を、よく受けるので、頑張ってみます程度で、約束する。当然、受けたら、何故か、ドンドン厳しく成る、何時する・・・何時・・・内容等々が、難しい方向に向かう・・・だから、此方から、何時何時までに、今の内容で頑張ってみます。当然、内容が変われば、他の部分も変わり出す。
物事は、時間軸が変わって行く・・・之も加味する事が大事に成る。
無理な約束をするから、結果、嘘に成る。
この無理と言う部分も、各自のレベルで変わる筈だが、この様な部分まで、基準化しているのが現代に成る。
当然、先に書いたレベルが有る為だと私は考えている。三流の私の場合、普通の事が出来ない、之が普通に成る。
一流の人なら、普通以上の事が出来る人に成る。
しかし、この一流の感覚が、父の場合、身分制度みたいな感覚に成っている。一流だから回りがしてくれる。本人は、何も出来なくても、周りがする。この価値観が有る為に、結局、環境が悪い、自分は良い、之が結果、心のストレスに成る。
境遇を恨む、事に成る・・・・境涯と言う意味も、境遇で変わると考える価値観に成る。
私は、人の言葉等々を、指示と取っている・・・・社会に氾濫している、単語や言葉等々は、殆どが理想、体裁の部分に成る。
この部分を、得る為に、努力せよと言う意味だと私は考えている。
この話を信じれば、得られるものでは無いと思うが、その様な人の、現代には多い・・・・
ある種の、宗教的な部分に成るが、この宗教の考え方、価値観も、本来は違うと私は考えているが、勝手に、得られる、仮に、有るグループに属すれば、勝手に、看に付き、勝手に得る事が出来れば、こんな簡単な事は無い・・・・
こう成る・・・之を指示と取れば、其れに向けて、挑戦する事だと私は考えている、して貰えると思えば、父の様に成る。
結局は、世間の中で、自立出来て居ない、自分の足で立とうともしていない・・・人に担いで貰えると思っている。
之を、目指す為の、日頃の行動に成る。
結果、鵜合衆を直ぐに組みたがる・・・・
父を見ていると、10代のヤンキーと同じ感覚・・・・恫喝すれば、人がナビクと蔽っている。実際は人との縁を切って行く流れに成っている。
その為に、繋ぐ為に、結局は、お金に成る。
この理屈で、言えば、損得勘定で、0の筈だが、父はしてやった恩を返せ、返さないなら、死ね程度の、恨みに成っている。
計算上、神輿の上に乗せて、一所懸命に指示の方向に歩いた、当然、その対価として色々頂いた、之で完結している。しかし、担ぎ手が居なく成れば、当然、今まで担いで居た人達を、恩知らずと恨む方向に成る。
社会や世間の中を自分の足で、波風を受けながら、必死に歩く、之が、普通だと考えて居ない事に成る。
勿論、世間の波風が、自分の分を超えて居れば、潰れる事に成る、必死に堪えても、ダメの場合が有る。之も人生と私は考えている。
当然、背に背負っている人達が、頑張れとエールを送る場合も有るし、逆に足を引く場合も有る。
この部分は、各自の宿命だと考えている。
しかし、背負っている全てを守る、この思いが、負けられないと自分に力をくれていると考えている。
結局は、背負っている事が負で無く、感謝に成っている。
何度が書いているが、今のこの世に生きている、之も私だけだったら、何度も死んでいたと思う・・・
色んな人、又、背負っている人達が居たが為に、今、生きている・・・・当然、感謝だと私は思う・・・
この世に生を受けて、今まで、沢山の経験が出来ている・・・当然、知らない事ばかり・・・想像もしていなかったし、誰も教えてくれない、又、耳には入らない部分なので、三流の私には、無い世界だと言う部分の経験をさせて頂いている。
新たな経験、ワクワクするし当然、ハラハラもする・・・之を楽しさの一つだと私は考えています。
頭に描ける、事柄の夢等は、手に入れても感動も一瞬で終わる・・・しかし、この様なワクワク感は永遠に続く・・・・私は、恵まれていると言えるかも知れない・・・
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