嫁の恥と、私の恥とは捉え方が違う・・・
自分の有りのままの姿を見せる、これを恥とは私は思わない・・・分相応の振る舞い・格好をする、これは当然だと思うし、隠すこともしていないので、生き方としては、正直だし、楽だと考えている。
この姿を見て、バカにする、蔑んでみる、これは他人様の価値観、この部分を気にすれば、世の中、生き難い事に成る。
嫁は、対面を気にする部分がある・・・女だから仕方が無いと思うが・・・有る基準に満たないと羞じと思っている。
その基準も形に成る。
人が創った、基準・形に成らない事を恥と思っている・・・
逆に考えれば、分も無いのに無理して見栄を張っている、これも有る基準に従い・・・私はこの状況が見える、立ちば、勿論、エリートを思うが、その様な人が指摘して、無理するな、見栄になるぞ・・等々、指摘してやる、それでも、した結果、大事に成ると初めて恥をかいていると言う事に成ると考えている。
分を知らず、分以上の振舞いをした結果、問題が表面化・・・之を羞じの上塗りと私は考えている。
何時も思うのが、何事にもルールや基準は有る・・・それに合わせる努力は必要だが、其れが出来ない事は恥とは思わない・・・
人夫々、個性が有る・・・出来る人は簡単でも、出来ない人は難しい、この出来ない人が劣っている・恥と思わせるシステムなら少し違うような気がする。
仮に出来る人が手を貸す、之が普通に成れば・・・出来る人が手を貸さないと成れば、恥と成るが・・・最近は、出来ない人が劣って居るし、羞じ・・この様な人を目の前に出すなと、力が有る方が主張すれば、劣っている人と言われる立場は、長けている人の周りから阻害される事に成る。
結果、優秀で長けている人は、人の底辺、社会の底を知らない事に成るし・・・知る人は同じ次元に住む、人達に成る。
考え様である・・・・優秀な世界、長けている世界に居たい、又それに近付きたいと、見栄を張って、頑張った結果、大事に成った・・・その世界の人が手を貸すか????
貸さないと思う・・・・之を卑下し、怨む人も居る。
手を貸す人は、元々の分に居る人達に成る。
同じ、分を大事にした方が私は良いと考えている。
結局は、バカにしていた親が、最後には手を出す・・・・・之は世間一般的に良くある話・・・
見栄を張って、上を目指す、これも向上心と思うが・・・少し足元を見た方が良いと思う・・・
自分の足で確り立てて、自分の尻位は拭ける、之が先ず求められる・・・之が自立だと思う・・・
之が無いから・・・結局、権威や権力を求め出す。
人の本来の生き方というより、人を顎で使える立場が偉い等々に勘違いを起す、人さえ出て来る。
之が人権無視だと私は考えている。
優れているなら、人の心も見えるはず、指摘しても良いと思うが、利用するなら、其れは悪人に等しい・・・
要は、現代社会では、損して生きた方が、良いと言うこと、人に負を押し付けていない・・・
私は、出来るだけ、損した話に耳を傾ける事にしているのも、人の本性が私の場合、汚いと考えているからに成る。
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