2017年9月18日月曜日

修理・・・・

納骨堂の、花瓶の水受けが、又壊れた・・

銅版金の水受けに成るが・・・寿命に達している・・

前回は、私が責任者だったので、応急処置をしていたが、

二個ある水受けで、底が完全に取れていた分が・・今回壊れている・・

今回は、確り、接着面を整え、先ずは、ハンダーで挑戦・・・
しかし、全体が銅で、温度の上昇より、外気温度で冷える、方向が早・・・駄目・・・

試しにガスバーナーで挑戦したが、やはりハンダーが一瞬、玉になり流れてくれない・・・

全体を均一に温度を上げて、昔有った、棒ハンダーを押し当てて、するしか無い様だ・・・

その様な物を持っていないので・・・

今回は、金属用の接着剤で・・・行う事にした・・・・最後に、二液性のエポキシで全体を固めたいと考えています。

この歳に成ると・・・地域のこの様な事に対して・・色々行いたいと言う気持ちが強くなった。運がよければ長く残る・・・私が関わったものが残り続ける。

今趣味のRCも沢山、持っているが・・・私が死ねば必ず、売りさばくか、廃棄になるのが解っている。

又、子供の為と、修理・手を入れても勝手に売ったり、捨てたり・・・之も当然に起きる・・・・

使う人の目的が有るし、必要か必要で無いかは、その人の思い・・・

しかし、物には思い入れも有る・・・・勿論、私が勝手に思いこんでいる事に成るが・・・

又、不思議に他人が、私の思い入れを知らずに、行うことと、家族が行うことでは、何故か私の感情も違ってくる。


この部分は、以前も書いているが、同じ、缶ジュースを買って上げるにも、我が子と、他人は違う・・・・

他人なら略全ての人が「ありがとう」と感謝の思いを伝えられる・・・しかし、我が子は、このジュースは嫌い・好きと言い・・お礼の言葉等聞く事が無い・・・

この感謝の思いが、他人だと有ると言う事は、若しかすると恩を感じているかも知れないが・・・我が子は恩を感じているか???疑問が残る。

地域事は・・・若しかすると、永遠に残る場合もある。

納骨堂に有る、慰霊塔の横に、明治以降の大戦で戦死された、我が地域の人の名が刻んである。
その慰霊塔に祈りを捧げる人も多い・・・・・
私の伯父もその名盤に名を刻んである・・・伯父は子供も居なく・・・甥で有る、私が親族としては一番近い・・・若し、私が居ても、遠くに住んでいれば、この様な事も解らない・・・若しかすると忘れているかも知れないし、親族から教えてもらっていない場合も有る。

知らなければ、名が刻んであっても解らない・・・・しかし、誰かが慰霊塔に祈りを捧げられている。

伯父が居た証に成る・・・・・

私も何時かは死ぬ・・・生きた証を、残し、子供に渡しても、若しかすると忘れ去られるかも知れない・・・・
そうなれば、今世を自分の思う通りに、楽しく・浮かれ・・・生きた方が良いと思う方向に向かい、結果と利己主義の強い人間に成ってしまう。

考えれば、伯父が生きていたら、若しかすると私は存在しないかも知れない・・・今の地に住んでいない可能性も高い・・・・

私の今が有ると言う事は、先人の人のお陰に成る・・・・最近は、試験管から生まれた様な価値観の人が多い・・・・必ず親が居るし、その親にも親が居た・・・・この部分を何故考えないかと何時も思う・・・

勿論、今が大事である・・・しかし、先人達が作った歴史の上に私は存在している。

その様な思いを伝えて行く、之も後継者の務めに成る。

大きく行けば、先輩が言っておられたが、この様なこと「墓守・先祖守の意識が無い物は、人でない・・・ただの動物としての人間」・・「この様な人と、話しても価値観が大きく違うので解り合う事は出来ない」・・・解らないから、トラブルが増えるし、裁判沙汰に成る、この際、今の法律はこの部分が欠如している。
結局、思いや心を計る事が出来ない為に成る・・・この部分を評価しない、之が現代と言うことにも繋がる。

益々、利己主義が蔓延する方向に成るし、人とのトラブルも増える方向に成るし、勝てば官軍的価値観に進めば、世の中は荒廃の方向に向う・・・・

今世を去り、若し、彼の世と言う世界に行った時に、先人達にどう報告が出来るか????・・・この不安が有るから、自分との戦いを続ける事に成る。



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