そろそろ、何時もの普段に・・・・・
今日は、午後から納骨堂の当番が待っているが・・・・・其れまでに、月末のお仕事の伝表整理を行いたいと考えている・・・・・・・・・・・
テレビでは、歴史が有る、箱根駅伝が昨日から、映し出されている・・・・
若い人達が、歴史を背負い、きつい、道のりを襷に願いを込めて、制覇して行く・・・・・良い光景だと私は考えている・・・・
進める為に、襷を渡し、繋げて行く・・・・・色んな事にも言えるが・・・・私は大事だと考えている
しかし、現実の世界を見ると・・・・渡したい襷は何本も有るが・・・・受け取る人が居ない・・・之が現実・・・・・・
順送り、之が滞る状態が、色々発生している・・・・・本来、少子化で若い世代が減る、この事は、一人に多くの襷が来る事を意味している・・・・
襷が後ろに迫ってきて、何故か全速で逃げる、この様な行動をとる人も増えている・・・・
生きる意味に、襷を渡し、後継のものを育てる・・・・この部分を最近では忘れている・・・・自分だけで終結する生き方が良いと成っている・・・・・この考えになれば、人との繋がり等々が気薄になりだすのも当然・・・・他人への優しさ等々、無くなっていく流れに成る・・・
生きる意味を見失えば、空しい生き方になってしまう・・・・
襷を渡し続ける・・・・この中に、利他の心が芽生える・・・・・他人の為、之が、限界を超える原動力になる・・・・
しかし、きつい事は一緒・・・・きつい之を異常に嫌う、この流れが、現実には有る・・・・結局、奮えるような感動も知らず、生き続ける之を望んでいる事になる・・・
出来れば、感動や感謝を多々感じたいと私は考えている・・・・100年未満の人生の中で、この部分を多く経験した方が、生きているという意味も増えると私は考えている・・・
しかし、未だに襷を渡す感動だけは味わっていない・・・・現役のランナーを続けることになる・・・・
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