2015年6月15日月曜日

責任感・・・義務感・・・

最近、この責任感・義務感・・・・・この希薄化が進行していると思う・・・

貧しい時代は、一人の子供を、家族・親族・一族が責任を持ち、育てていた・・・勿論、地域社会も・・・・その為に七五三等々のお祝い行事も多々有ったし、その都度、子供に係わる人達に、お礼等々の意味合いも含め、色々行われていた・・・

昔の家督制度が之を、促進させていたのかは解らないが・・・・

今は、この様な行事の重要性が薄れてきている、その事は、子供に対しての責任者等々が減っている事になる・・・・

昔でも、多数の人が係わって、一人の子供を育てる・・・・・今は、親に限定されて育てる・又片親だけでという流れが加速している、子育てを、一人でする・・・・親の高いレベルが必要に成る時代に成っている・・・・

変な意味、責任の分差が有る方が、生き方としては楽だと私は考えている・・・・しかし、その部分も一極に集中する方向に成っている・・・・

家族の中で、コマッタちゃんが居る・・・・家族だ如何手を尽くしても解決出来ない・・・・この部分で責任の拡大方向になれば良いが、逆に、集中になる・・・・責任者が放棄する方向になる・・・・

放棄したら、コマッタちゃんは・・・・現実に残る・・・・今度は地域社会がこの問題をどう対処するかになる・・・・・結局、行政や警察等々の方向に向う・・・・

結局は、責任が有るから、無責任は言葉を投げかける事が出来ない、しかし、そのコマッタちゃんに係わっている人で、必然的に、無責任は言葉をいってしまう人が大勢居る事になる・・・・・

耳障りの良い言葉が、多い・・・・結果、無責任は言葉を言えない人の言葉が、間違いに成っていく・・・・

コマッタちゃん・・・今まで父も含め、色々縁してきたが、基本的に人間性は非常に良い・・・又変な意味で素直・・・・・耳障りの良い言葉は直受け入れる・・・・

しかし、コマッタちゃんの責任を負っている人は、耳障りの良い言葉は言えない・・・・

この責任者が、限界を超えて、離脱したら・・・・・・地域社会まで問題が拡大する・・・・

私は、父の件で、世間は無責任な言葉をよく、父にする・・・・この事が、いろんな事に対しての足枷になる・・・・・・責任を負う、この自覚が有るから、無責任な事が言えない・・・・

この事を理解すると、責任を負いたくない人が大多数という事・・・無責任な発言が大半と言う事になる・・・・

現代は、情報自体が無責任な事が多い・・・・・事件・等々も本来は、責任ある発言をその人にしていれば良いが、大多数が、無責任は言葉の中で生きている為に勘違いを起こしている・・・

本質は、無責任な発言の中で育っている、子供達が如何育つかに成る・・・・

仲が良い、この事は相手が好む言葉を選ぶ方向になる、耳が痛くなる発言はしない・・・・
この中で、生きていて、有る日、一部の人が事件に成る・・・・仲が良いが、耳障りの良い言葉を発していた人は一気に居なくなる・・・・・無責任となる・・・・

最近の事件を聞くと・・・・その人に対しての責任者も限定できない状況に成っている・・・勿論、過去は努力されたと思う・・・しかし、責任者に全てを押し付ける・・・この流れで、責任放棄に成っていると考えられる・・・・

結局、コマッタちゃんは誰も責任者に成る人が居ないと成る・・・しかし、昔は家督制度等々が有る為に、家の問題として、親族で対応していた・・・・・コマッタちゃんに係わる人が多かったことに成る・・・・勿論、それでも対応出来ない場合は、座敷牢という単語が有る様に、家の中に閉じ込めていた・・・・之を現代すれば、監禁罪になるが・・・
親族が、社会との係わりを断つ方法も、行っていた・・・・・

今、憲法等々の議論が増している・・・・勿論法律にも繋がるが・・・・・

日本民族として、長年の経験を元に作っていた、制度が、敗戦後、一気に変革された・・・・良い方向にも成ったが、悪い方向に成っている部分も有る・・・

今後、責任者不在方向に進む・・・之は真のリーダーが居ない事に成る・・・・益々、不透明な時代に成りかねない・・・・・

結局は、社会の根本部分がこの様な状態、色んな組織でも同じ方向だと思う・・・・

責任放棄の生き方が楽・・・・・しかし、この考えも、高齢に成れば必然的に出て来る・・・自分自身で手一杯・・・・本来、余裕が有る人がこの部分の任を担うのが、理想だが・・・・




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