2025年8月30日土曜日

何が出来るか!!!

 


今私に出来る事は、障害が有る身で、何処まで、ペーパークラフトを綺麗に作ることが出来るのか????・・・・車イスに座り続けることが出来なかった身で・・・・・震える手・動かない手で何処まで出来るのか????当初は失敗の連続、しかし、作り続けてきて、ある程度のレベルに成ったと思ったので、紙厚も厚い物に変えて取り組んできている。今回ギラフォノコギキリクワガタを作成した。かなり難しかった、サイズが小さく、些細な切り込みの失敗等で細い部分が切断される。苦労したが完成できた。この様子を周りの利用者も見て居られる。其れで、少しでも前に進め続けると決めれば、身の変化も起きると私は言いたいが、その思いが伝わっているのか??自主連を行う人達が増えてきた。些細な事だが、体を動かす。又、施設内で危惧・用具を使わず歩行練習を勝手に行っている。当然、見つかれば、叱られて、直ぐに車イスに座ることになるが、私の当面の目標は、歩行が出来るのと、その為の練習を勝手に行っている。しかし、医師の見解だと無理だとなっているので、中々、この練習が出来ない。しかし、歩行が無理と言われている人間が少しだが歩を進める事が出来ている。其れも、以前は、ゴリラみたいに、足が伸びらず、足は外へ外へと大股で歩く、結果、中腰を続ける為に、全く持久力が無い、今は、出来るだけ健常なときのように、膝同士が当たるように意識して、背筋を確り伸すという良い、後ろに反らす感じで、歩く練習を行っている。此を続けて、早めに歩けるだけになりたい、今月までで、レンタルの車イスは返す事にしている。車イスが無ければ、己の足が大事になる。此もリハビリと捉えて頑張ります。

2025年8月27日水曜日

十数年ぶりのギター

 火曜日、デイケアーサービスでイベントが開催された。夏祭りと題して施設内でもようしが行われた、各ブルースに参加して、色々景品を頂いた、施設サイドにはお礼になる。暗かった利用者が一瞬でも明るくなる。大事だと思う。このイベントで、ミャンマーから働きに来られている。介護士数人が、母国の唄を、ギター伴奏で熱唱された、私は感動したし、有り難く感じた。異国の地で、母国に残した家族の為に、一所懸命に仕事をされている。内の息子らに爪の垢でも飲ませたいと思う。前向きに嫌な事も気にしないように突き進む、パワーに何時もお何処からされている。歌を聴いた後に、ギターを借りて、少し弾きたいと試みた、アコギのフォークギター、弦はハードを使っているようで、コードのAm等には指が行くが弦を押さえる力が無い・・・・己の今の状況を再認識することが出来た。ギターもリハビリに取り入れたいと思うが、甥っ子に譲ったので、今手元になり、今後の課題になる。母は老いていき、欠けていくことを受入れ楽しめる様に成れと言っていたが、今の私にはその様な心の余裕は無い・・・稼げなければ、死んだ方がマシだとも思って居るが、今の私は己で死ぬことも出来ない。哀れだ!!!!

2025年8月26日火曜日

特性は隠せない!!!

 私は人としての特性があるが、その特性に障害が及び、思うように出来ない方向に成っている。勿論、其れを少しでも解消したいと、色々な事を行っているので、少しずつ改善してきているので、パソコン入力も、昔に比べれば遅いが、人が話す程度なら入力できる様に成った。左手の小指・薬指と中指がくっ付いていたが、今は少し離れるようになってきた。これも、諦めず、挑戦し続ける、与えられた今の現状を、どう受け止めて、どう対処していくか???と私は思って居る。、昔、T先輩から、送っていただいた、動画、103シャーシを使った、F1F1二駆ドリフトで走行動画を送って貰ったが、今のRC二駆環境、特徴には、良い重量バランスと思う、ミッドシップとなっているが、基本、少しリアが重い、一般のRCドリフトは、ミッドシップと言うより、RRの度をラックレッサー的な特徴を出すし、其れがリアルと言われる現実が私には解らない。体が許さないので、RCは出来ないが、見る目は未だに有ると思う。ドラックレサーと書いているが、悪く書けば、積載量オーバーのトラックの挙動になる。此をリアルと言って、格好よいという誘導・先導が、足枷になっている。操作技量の勝負と私は思う。難しく繊細な操作が必用な車が実車に柄糸考えている。自車でハンドル操作、一瞬にロックまで切り込むのか????大破綻になる。特徴は隠せない、何を求めているかで、特性も変ってくるのが当然、

2025年8月25日月曜日

コーカサス大かぶと


 

昨日、大物のペーパークラフトのコーカサス大かぶとが、 完成した、手直しを続け、又、今回の髪質は、90Kgから135Kgに厚みを増し結果手直しも、少し剝げるが、糊代がギリギリに残り、楽だったが、切り出すのは大変・・・・デイケアサービスの利用者の人達も、少しずつ、見学に来られ、ニコニコされているだけでも、私は嬉しいし、人様の少しの役に照っていると思える。これが無ければ、生きる意味が私の場合無い・・・・・優劣論・勝ち負け論が人間社会にまで蔓延しだしている。一生、優秀で、勝ち組に居られる確率は非常に低い・・・・しかしこの様な部分は見たくない、知りたくない思いと、社会として優秀な消費者を作ろうという目論見が合わさり、損・不幸と思える方向の方には関心が無い。私は、現代は何人の死水を取ったかが人の値打ちだと思って居る。今日は限界が早い、終る事にする、

2025年8月24日日曜日

何の為に生きてるのか????


 

最近強く思うように成った、何の為に生きているのか???人様の為と思って生きてきたが、其れが今は出来なくなった。先輩達からは己の事を先ずは考える時が来たと言われるが、其れが出来ない、生きる上で大事な充実感、これが無ければ、家畜と同じ要に生きて居るだけの生き方になる。家畜も己の環境の好みがあるし、其れを与える宿主が好みになる。私は貰う、得る事が幸せとは捉えきれない・・・この逆の与え損すると言われる歩行が出来る事が、幸せだと思うし、人として余裕が有るから出来ることだと思っている。しかし、今の私は、体と思うように動かす事も出来ない、周りからは奇跡的に改善していると言われるが、それでも、思うように体が動かない・・・・・心筋梗塞・脳梗塞等々、10以上の病状がある。当然、障害も色んな部位に有るし、一番の問題は、知能・知識の部分、耳も目も話す事も出来ない状態が数ヶ月続いたので、頭の回転が以前の三分の一程度になっている。人の脳は、生涯全てを使う事は無い、アインシュタインでも三分の一程度と言われる。要は凡人の私は、使っていない部分が九割は有ると思う。其れを活性化するためにも、ルービックキューブ等々で頭の鍛錬と、腕の鍛錬を行い続けている。今は、1分台で完成できるようになってきた。三ヶ月前の購入して、このレベルまで来た。全てトライアンドエラーの繰り返しで、一番手数が少なく、効率が良い方法を、模索し続けている。又、ペーパークラフトも切り出しは自宅で、組み立てはデイケアサービスで行っている。此も私にはリハビリの一つ、正確に切り出す、此も今の私の場合至難に成る。昔は鼻歌混じりでサササと切り出せていたが、慎重に進めてもギザギザで乱れる為に、益々慎重になる。デイケアサービスの利用者の中では、障害等級・介護等級が一番高い立場に私が成る。ある程度、歩けるのに、少しの痴呆症等で利用してある人も多い、何故、治そうと、何かに挑戦し、希望を持とうと居ないのか???此が疑問である。三月末にこの施設に入所したが、この雰囲気を少しでも改善し、前向きに生きることが楽しい事だという事を解って頂きたい、お通夜状態の無言・動きもなく座り続ける環境を変えてみたいと思っている。此が私の人様に対しての出来る部分、此が続く間は、生き続けると思う。今は、この程度しか己で出来る部分は無い、家長として一番大事な、稼ぎも無い・・・・体も動かない・・・末子の五男に迷惑を掛け続けることになる。昔の感覚なら当然の事、当り前の事・・・・しかし、現代は責務から逃げ避ける方が、特だし、幸せに成るという価値観が蔓延している。この環境で育った五男、苦痛だと思う。しかし、人を背負う尊さ、偉大さ此がいきるという事だという事を解って貰いたい。今の人からだと無駄・損と思える言動を続けてきた。今も続けている。それが幸せ、幸福に繋がると私は信じている。生きて居る時間が長いと縁した人も増える、当然、先立たれる人も増え続ける、追善供養の時間も長くなる・・・家族は見ているがどう思って居るのか、意味が無い、無駄・等々と思って居る可能性が高い。今回、ペーパークラフトはコーザラス大かぶとを作っている。デイケアサービスで同体の組み立てが済んだ、組み立て説明書も詳しくないために、想像して方向等を決めて組み立て続けるが、逆に着けていたり手直しが多いし、パーツ点数も今回は80点くらいになった。最高のパーツ点数になる。上手に誤魔化しどうにか、今日、足も着け完成になったが、テカリを出すために、ボンドを薄めて表面にと振る作業が残っている。

2025年8月21日木曜日

往診日・・・・

 今日は、月一の往診日・・・・朝から伺い、昼過ぎまで掛かると思う。これも、病と上手に付き合って行くために必要な事・・・・体に問題が有るが、治る可能性も無い、その為に上手に付き合って行くしかない、治るなら、戦うと言う事も出来るが、受入れて共に生き続ける事に成る。

今回、世界の情勢が少し変わろうとしている、ウクライナとロシアの戦い、ウクライナは侵略戦争と言っている。西側諸国等もその様な捉え方、しかし、ロシアはロシア民族の解放の為と言う論理での戦い、戦争で無いと言う事、領土も、元々はロシアのものと言う捉え方、この戦争を終えらせるために、アメリカ大統領のトランプ氏はウクライナ領土の割譲を含めてロシアと交渉している様だ、之で事が片付けば、大戦後の前例を又作っていしまう。現状を変えないと言う基本が、変わると言う事、誰に優位なのか武力・力が有る国が優位に成る。世界が、弱肉強食の世界に加速する危険性が有る。この問題が、ウクライナの土地の割譲で片が付けば、今度は、両道問題の有る。地域も、力で変更できると言う前例に成って、拡大していく可能性が有る。私の国の一部と言い続けている地域が、色んな所にある。その場所が今後、戦火を出す可能性が有る。日本国の場合、仮に、他の国からの侵攻で、ある島が占領されたが、排除する事は可能だが、その国を攻撃する事は出来ない。物資は母国から膨大に送り続けられる。兵站の輸送・物量が戦いを決める。日本国は、防衛で之が可能なのか????日本国が恵まれているのは、資源が無い事、土地の魅力が少ない、広い海域が有るが、その海域から得るためには多くの資金が要る。要は土地として魅力が無いと言う事、今、日本人が住んで統治しているので、日本と言う魅力が有るが、土地だけが有っても意味がない。現状を、我儘なリーダーの言動で変えていく、これを許す事が本当に良い方向なのか???傲慢な人には傲慢で対応する事しか出来ないのか????傲慢な人に堅強な姿勢で対応する、これが日本人である。

2025年8月17日日曜日

お盆期間!!!

 今日は、子供たちを集め、我家でのお盆の行事、お盆時期は本来、誰が来訪されるか解らないので、家を留守にすることは出来ず、出迎えておもてなしする事を行なう期間、今は体も壊して、思う様に動けないので、回る事が出来ないが、以前は色んなと家へ伺って居たが、ドンドン、家を留守にするところが増えてきた。結果、墓や納骨堂に直接伺い、手を合わせると言う事を行なって居たが、この人として最低限の事さえ今は出来ないでいる。しかし嬉しい事と、心配な事が昨晩有った。離婚した長男の第二子の長男、本来なら、我が家の跡取り孫に成る。その子が、急に黙って、家に上がってきた。長男が、直ぐに、仏壇に手を合わせるように指示し、それを済ませて、話が、事故を起こしたとの事、車同士の事故・・・・お互い怪我わないと言う事が救いだが、彼は二十歳前の意気盛んな時・・・事故等の危険性を、爺の立場で話していたが、身についていなかったようだ・・・・

私の本音・願いは、この様な親族の集いに、縁の切れた孫達も参加させたい、新しい妻が了解してくれればと思うが、口では了解しても、心、本音は解らない。

嫁には言っているが、俺の財産は全て、その子に相続させたいとも言っている。苗字は変わっても、私にとっては、男系の最初の孫・・・・特に苦労して育っているので、強く思う。現在は簡単い離婚する人が増えているし、それが自由と思っている。それなら、己が老い・病に成った時に誰に看病・介護をして頂くのか????これを考えて生きているのか、まさか今の状態が死ぬ瞬間まで続くと思い込んでいるなら、その様な事は絶対にない。生き様は死に様を模索する時間だと私は考えている。どの様な形で死に向かい、死んで行くのか???終戦記念日の番組等で、少しは解ると思うが、若人の尊い命が、ある日突然、国の我儘で、死ねと成る。国家動員方が可決,1938年昭和13年に成る。当然、その当時の日本国と言われる地域の人は全て個の法律に従う事に成るが、何故か挑戦だけは、昭和24年の終戦間際に、男子だけの適応に成る、それまでは総督府からの日本本土への募集と言う事で、行っていたし、多くの人がそれを求めて集まっていた。考えれば誰しも解ると思う。貧国国だった国が、急に成長し死の原動力の国と成れば、当然魅力が有る、後の問題は、言葉、その為に、競って日本語の勉強をここに行っていた。これも現代と同じ、己に利をもたらす言語は死にも狂いで身に着ける人たちが多い国、有史以来、勝馬に乗る,尻の軽い生き科が遺伝子に刻まれている。当然、強大な力が有る人の中に入ろうとする。しかし、その相反する強打な力も捨てがたい、両方に入り、両方の悪口を各々に気に入られる様に言う、要は口で掃いている言葉は本音でない、全てビジネストークと言う事・・・これを本音だと思い込んでいる。要は、道教や儒教等の道徳の価値観が強いと言われるが、結果は己本位主義の方向に成る。強くて優秀なら、上手、マウントが取れるのが当然と思っている。何度も書くが本当の優秀さは謙虚さに有る。人様から如何思われようとも、謙虚に頭を下げ続ける。トラブル・喧嘩は、己が~~~と言う気持ちが強くなるほどに起きる。問題が有るから指摘を受けた紳士に改善していくしかない。

台湾・満州国・樺太島の住民も日本国民と見なして、昭和13年に国家総動員法に枠に入れられた。当然、赤紙が来て、出征等が有る。ある国はそれから遅れる事24年に施工に成る。よくよく、勉強しなければと思う。国家総動員法は13年、なら、その当時、日本人として生きていた人は全てこの政策に入ると思って居たが、特別な国が有ったと言う事、それが意味すのは、人間性を知っていた人が日本国には居た為と思う。直ぐにカーと成り、暴走する、これを良しと思う価値観、それで戦争が出来るのか、パニックに成って、仲間を後ろから狙撃する可能性も有る。ジタバタ・バタ狂いする、性格の人は、冷静沈着が求められる処は不向きである。

価値観等は、長年の文化の積み重ねで出来上がって行く、強大国常時、神経を使い続けていた国と、己が道を歩くと言う方向で文化を積み重ねた地域とでは違いは当然ある。境遇が人を育てるとも言える。どの様な境遇が良いのかは、己が決めることに成る。

2025年8月16日土曜日

昨日は、80周年記念日の終戦記念日・・・・

どうにか、日本国は他国に向けて砲火を与える事が無かった平和な80年を過す事が出来た。感謝になる。しかし、現実には昭和45年8月15日後も、戦闘は続いていた。特に、ソビエトとの闘い、世界の価値観捉え方を知っていた、日本軍、幹部は、ソビエトが進行してくると言うことを予感して、武器を絶対に手は成さないで維持する、国の命令に反する命令を下していたために、満州国からの法人等の引き上げの時間を創る事が出来た。死にもの狂いの闘いは、その後、樺太の指揮官が、ソビエトがなんかすると言う事を予感、樺太は放棄して、北方領土四島に守備隊を配備、物資もない中、肉弾戦で守り続ける、ソビエトは、日本国の半分を手に入れたいもくろみもあり、その欲を利用して、アメリカをソビエトを唆す事をする。最低でも、北海道の占領を行い、その後の交渉と考えていた模様だが、残存兵の身を挺した守備で、北海道に侵入する前に、終戦となっている。要は、日本国が思っている終戦日と世界各国が各々思って居る終戦人では隔たりが有ると言う事、何故と思う人も居ると思うが、今行われている。ウクライナやイスラエルの戦争等も、終戦協議、日が決ったように見えても戦火は続き続ける。此が世界の常識的な現実である。日本国民は、国が今日で終わりと言ったら、終ろうとするが、世界はそうで無いと言う事、昨日、ブログをUPしたいと考えたが、色々な事が有り、無理だった。我家も、伯父が南方のニュウギニアで戦死している。物資の補給をたたれた場所、死の行軍として有名な地、食料もなく、飢え死にするまで歩き続ける。この地獄図の状況下に置かれた伯父であるし、その伯父の思いを後生の人にも伝えたいと私は思って居る。数少ない、手紙の中に、今後の後継者に向けて、要っている部分がある。学問を確り学び、己を磨くこと・・・詳しく解り易く書くわけに行かない時代・・・・この戦争の無謀さ、少し学があれば解ること、特に、識者でシュミレーションしたら何度も日本は負けるとなっているし、その時の山本五十六氏も、短期決戦で、アメリカと直ぐに和平を結べば勝気は有ると言っていたらしいが、アメリカのルーズベルトは、世界のトップというポジションを狙い、ヨーロッパ戦線に参戦したかったが、市民が反対・・・どうすれば、戦争に突入できるかを模索していた。当然、イギリス等のヨーロッパの国力は衰え続けている。世界最高力が有る国というステータスを手に入れるために何が必用なのか????戦争に参加して、力を見せつける必用が有る。その噛ませ犬に選ばれたのが、日本国になる。満州国を建国するが国際的には認められず、結果として、日中戦争が続く中で、何故か、中国が使う武器等は、アメリカ製やイギリス製・・・・戦闘機に及んでは、パイロットが白人、中国と戦っているのか、西欧列強と戦っているのか解らない状態だし、何よりも、黄色人種、色の付く肌の人種が白人には向う事は有りえないという時代、日本人が黄色人種や人を殺すと巡検蹂躙となるが、白人が黄色人種を大量に殺傷しても、動物の様な捉え方。何度の書くが、各自で捉え方が違う。一神教の世界は、簡単に書けば、差別・格差に成る。上の立場は、下をどうしても良いと言う価値観、その為に、下の立場が、上の者に指図をする等々有りえない・・・会の次に偉いと言うのが白人・・・・肌の色が濃くなるほど、劣っている、動物に近いと言う価値観、人が蚊を無造作に殺しても、覚えても居ない、此を人を殺しても、当てはまる。捉え方、価値観に成る。どの様に学んできたか、教わってきた。学校の勉強以外で、人の体験談等々が、一番重要な生きる知恵になる。この部分を身に付けず、勉学だけ出来ると胡座を書いていると、最終的に不幸になる、此も何度も書いていることだが、日本人もグローバル化という流れで、一神教的、目には目の方向に向う人が増えている、寛容さや保養力が大きいことが、人の器、度量とは思わないで、甘い、お人好しという方向に向っている。お人好しがダメなら、お人嫌いになることが優秀と言うことになる。この方向に世界が向っているし、日本国までこの方向に国民が向っている感じがする。他のブログやネット上の情報思いを総括すると、勝ち負け論、目には目を、優劣論で渦巻いている。此が人の世なのか???私は、今デイケアサービスでブログUPの下書きをしているが、この施設を利用している人は、一般言う優れ他人で無いし劣っている人達になる。それでも、一所懸命に生きて居られる。その手助けは誰がするのか?????私の出来ればと、勇気づけるような事を行っている。物理的に出来る人は物理的に出来るはず、もし、必用でない無意味という人が多くなれば、ナチスドイツが行った、障害者の抹殺方向に向うし、この方が国の経費は少なくて済む。無いが良いのか、私は何度の損が出来る事は良いことだと欠いてきた。今は金銭的に村荘だけの経済力は無いので出来ないが、色んな部分で損する事が結果、人様の役に立っているなら其れで良いと考えている。己が得し、周りに損を背負わせ続けるマシだと考えている。己に投資する何故か、有限的な命、一生は100年続かない・・・この期間しか活きれない身なのに何を求めているのか???幾らでも着飾ることは出来るが、永遠でない!!!一瞬の輝きのために生きて居るのか????他の為に何を尽くせるのかの為に生きているのか????この違いで人の人生観は大きく違ってくる。今の私は人様のお世話、迷惑に成って生きている。申し訳なさが有る、人様の役に立つことが出来ない身になり続けている。許せないと思うから、回復を願って無理も行っている。歩くことが出来、走る事が出来、階段を上る事が出来る様に成る・・・これを目標にしている。現実の医師の見解は寝たきり、良くて車椅子と言われている。この診断には納得していないので、挑戦し続けるしかない目標に向かい、これが叶えば、少しは人様の役に立てる様に成ると思う。今はネットの時代、調べたい事は直ぐに解る時代に成っている。ミズリー号での降伏調印式は、先に書いている様に9月2日で有る。しかし、その後行われた、連合軍との講和条約は1951年9ガツ日に成るが、ソビエトは署名していない・・・要は戦争状態と言う事、丸腰の日本・・・上手に立ち回る事が求められる。その後、直接日ソ共同宣言が行われ、二島の返還が記載されていたが、実行されていない、しかし、戦火の危険性は減る事に成る。簡単に書けば、丸腰の体力もない、日本人が、大国とどう関係していくか、それが問われた時代に成る。先人たちの努力と知恵のお陰で今の日本国が有る。今後は、今現役の社会の中心的人達の価値観、哲学が今後の日本国の方向に成る。どうなるのか????私は期待しているし、不安もl当然ある。




2025年8月13日水曜日

限界への挑戦!!!キツイ・命懸け!!

 世間が長期休暇に成ると、何時もの様に、私の携帯に電話が、24時間鳴る。困っているから助けてくれと言う事になる。廃業して、引き継ぎのメーカー等も挨拶して回っているが、この期間は連絡が取れないし、当然、対応が連休明けになる、特に零細企業がお客さんで多い私の場合、この休暇中に事務処理等を行う社長が多いし、当然、社員も居ないので頼れる人が居ない、藁にも塚みたい気持ちで電話をされているのが解るから、昨日も、夜八時から、伺い、問題は、二階の事務所、使用で社長は暫くはいないとのこと、帰ってくるまでに治してくれとの依頼・・・私、病はご存じの筈・・・・其れ何に何故と思うが、クソウ~~~己に対しての期待が強い為と捉え、死んでも二階に上がり退所すると決め、嫁に送って貰って、お尻を持ち上げて貰って、二階に空調も止まっていてうだるような熱さ、電灯を点けるのにも探す事に成る。色々苦労して、対処するが、私の体の限界が達したときに、社長が帰ってこられた。取り外すネジ等を説明して、処理して貰ったが、本来、説明書をよく読んで理解していればこの様な事に成っていない。理由は、複合機等のトナーを付かす機械の、トナーとはプラッチク素材で、熱で溶かして紙に定着させるシステム、トナーを大量に、又、進行方向の所為の部分は出来るだけ白紙を設定する。この事を怠り、A4用紙一杯に写真等を拡大し、余白がなく、其れを両面等で印刷するとなると、当然、紙詰まりも増えていくし、紙詰まり表示をしているのに、何も対処しないで、リセットは行うと、駆動が掛り、ヒートローラーに詰まっていた紙が、ローラーに巻き付き、取れない;見えない状態に成るが、次からの印刷は当然、紙詰まりが頻発するし、その間もトナーが付着していた紙が高温で熱し続けられ、機械に大きな悪影響を及ぼす。当然メーカー系が修理で伺えば数万円の請求が出るし、夜の10時位という対処は出来ないと思う。今日も、透析後、前回、購入して貰った先輩の会社へ、古い機械を引き上げになる。上がり框も上る事の出来ない私、機械を搬出できるわけがない、透析後、直ぐに福岡に、長男と五男と嫁と伴い、福岡の南区に・・・・途中、油屋まで大渋滞、其れを抜けるとスムーズに流れて先輩の会社へ・・・・・帰路な福大の方から帰れとの指示で、三ツ瀬トンネル方面から、中側への道を使い、油山を迂回して、家に帰り着いた。数日前に先輩宅に伺ったが、その際、山道で車が左に曲がる都度に、助手席に座る私は右に傾き元に戻せない、この状態だったが、前回よりは耐える事が出来るように成っている。何事も無理と思い込みそれ以上の挑戦をしないことが己の能力を抑制している私は考えてる。リハビリでも、手滑りが両方にある階段も二段くらいしか登り檻が出来ない。今回、一気に二階まで、嫁の大きな力を借りたが、無ければ無理だし、最悪、落ちて死んでいた可能性も有る。挑戦とは、ギリギリの事、ギリギリとは、己の命との遣り取りだと私は考えている。どんな状況下になっても、境遇であっても、希望を持ち続ける事とその為には不可能と思える事への挑戦する心意気だと私は考えている。今、デイケアーサービスに利用していて、この様な思いで来所している人は殆ど居ない、何度か書くが、死の電車に何時乗るのかと、黙って待って居られるような人々が多い、当然、家族に出来るだけ迷惑を掛けないという部分は有る。生きて居る間に何故、苦労や努力を放棄するのか、楽だが、幸せだとは思えない、私は、何度も書くように、波瀾万丈だが、幸せな人生し思いたい。


2025年8月12日火曜日

少し意欲が・・改善の為!!!

 


身動きが取れない今の私、ベットで横たわり続けるのは楽だが、気が狂いそうにイライラする。何かをしなければと、私の能力に合う事という事で、ペーパークラフト作りを行っている。動物・鳥から昆虫と成ってきて、足等の細さで苦労している。特に、紙の厚みの大事さを痛感する。立体的に保持するには紙の厚みも大きく関係している、今までは、90kg程度の紙で作っていたが、今回、135kgの紙の厚みに変えた。また少しでも光沢を演出したいと、接着剤のボンドを水に溶き、薄めて、表面に塗布・・・良い感じのテカリが出てきた。デイケアサービスの環境にも慣れてきた。色んな利用者がいる。その人達との協調性も必用に成る。同じ事を常時言い続けている人等々、一般に居たから側に居たと思われる人達が集まってくるのがデイケアサービスである。利用者はその様な人として見られているのが、事業者に成る。表面的には良いが、本当は、知るか!!!で有ると思う。そうで無ければ、この仕事を続けることが難しいように思える。施設を利用するように成って、施設の実情が解った。ペーパークラフトも組み立て作業は許されているが、切り取る作業でカッターやハサミの使用は禁止されている。此も他の入所者への配慮という事だが、意識が確りしている人なら、この環境は苦痛しか癒えないと思う。精神や痴呆症と共に、体の不調で利用している人も居る。同じ受け皿というのも私は解らない。

日曜日の夕方から、嫁里のお盆客、今年は顔だけでもと思っていたら、嫁が、五男が休みで居るので、里に一緒に行き、車の中から顔を見せればと提案してくれたので、五男の運転する車で里へ、義理の弟妹達が出てきて、色んな話が、体も疲れるので、最後に、私に何かあったら、嫁の事はお願いしますと頭を下げ変える事が出来た。仏前で手を合わせられなかったことが気になるが、この体ではギリギリの振舞に成る。嫁里の先祖供養も確り行っている。


2025年8月8日金曜日

幸福な毎日!!!

 今は病で、体調は絶不調状態だが、その中でも出来る事はある。特に己以外の為に出来る事が出来ている間は、幸福だと私は考えている。理由は、誰しも自己防衛本能が有るし、最後は己に執着する・・・余裕が有るから他に目が向けられると言う事に成る。見掛けは余裕が有る様に見えないが、大事なのは心・命だと思って居ます。人としての生き方も色々ある。心・命の安穏を願う人や見掛け・肩書にこだわる人・・・最近は後者が多くなっている感じがする。肩書を欲しがり、得れば、プラスして哲学じみた事を言い出す。これが正しい等々、之で信者を増やす宗教のような感じがする。要は、肩書が出来て、言い張られ、それが通用する方向に成る。今   ペーパークラフトを組み立てているが、人各々、やり方も違うし、どれが正しいかも、各自のレベルで違う。今の私は、線に沿って切る事も難義しているし、手が勝手に右側にずれだす・・・その為に左左と意識して作業を進めている。それでも切り取り線とのズレは、健常な時より大きいし、時間も要する。これも個性だと思う。個性も一生の間で変わる、この変化にも対応できなければ、生き続ける事は出来ない。

2025年8月6日水曜日

姿勢・・・・

 長く、寝たきりだったので、体が硬直していて・・・色んな部位の可動域が狭い・・・それに加え、歩きたいと思うと、その体で無理して歩く、そのスタイルは、外へ外へと足を運ぶ、歩き方、高齢者や幼児の歩き方に近い。後ろに倒れる事が怖いし、重心が後ろに行きやすいので、無意識に姿勢を前屈みにしている。人として歩く事は普通だと思うが、綺麗な歩き方が有ると思う。ドタバタした歩き方を今はしているし、それが解るので・・・何が問題かを考え、事を勧めている体感・バランス感覚を研ぎ澄まさないと、どうしても出来ないから、先ずは出来るようにを優先する。結果、癖の強い体の動かし方に固定しまって、その後はどうにもならない事に成る。今は、体の可動域が悪いので、どうしてもバランスを自由に己の思う方向に持って行けない、結果、悪いバランスで歩くから、歩けていても、高齢者・幼児の歩き方に成る。モデルの様な歩き方に近づきたい。

この件も、いろんなジャンルの趣味を行っていた。同じ個性で無ければ絡みにくい、同じ個性とは????操作が誰でも出来る!!!それとも己の目指すリアル!!!等々、色々ある。特に動く物は、そのバランス特性が、動きに大きく影響している。未だにRCドリフトの世界は、リアへビーなドラックレーサーがドリフトしているような挙動を示す・・・・ステアがアンダー過ぎで大きくステア操作しないと向きが変えられないと言うより、フロントが浮いている、結果其れを止める為にフロントタイヤの舵角の大きさを使い、フロントを止める。結果リアが出ているように感じる走り方。リア起点で車が走っているし、フロントを走らせる競技がモータースポーツと私は考えて居るが、フロントが走っている様に見えない、よく言って、転がっているだけ・・・・きっかけでリアが右に出たのに追随する、フロントと言う形、面白みを感じない、しかし、多くの人と共に走るなら、同じ個性の車で無ければ、からむことは出来難い・・・・何の世界での特性でジャンル分けしている。

2025年8月4日月曜日

主・・・????

 主役等々、中心人物と言う意味も有るが、何故中心人物ならの家????要は、周りに良い意味で影響を与える、家で言えば、主人と言う事に成る。この主が特権と思い、周りから搾取できると思うのは、私の考えでは劣っている価値観と思うし、このレベルの民衆が多ければ、どうしてもこの方向に向かう。何度の書く民度が結果、国の政治に繋がる。親として、世界でどう振る舞うか????これを確り理解している国が、先進国、Aクラスと言われるG7の諸国、しかし、自国ファーストを前面に出す代議士が増え、大統領迄出している国も増えてきた。結果、世界貢献、発展途上国への貢献等々が、おろそかに成っている。勿論、貢献する国の国民も、応援すれば良いが否定する方が最近増えている。私も、村内に貢献したいと、少し無理して行っていると、家族から馬鹿の無駄のと罵られる。しかし、この地域で生かされている家の主人として、当然の事と思っている。何度も書いているが、生きる場所ポジションが各々ある。そこそこで出来る事が多々ある。この事を確りできる国が先進国に成る。何度か書いているが、地域保全委会に入っていたので、ゴミのポイ捨て等々の回収を、自主的に行っていた。この国のモラルの低下を嘆いていた。特に24時間のぢディスカウントストアーが行政区内に有り、そこに向かう道が、沿岸道路の側道、見透視が悪いので、袋ごとポンと捨てて立ち去る車も多い・・・・個々の人々のモラルのレベルで結果的ん大きな負担、費用が必要と言う事に成る。これは、意味がない負担・・・何も生まない・・・・自己完結の世界なら、それを全うして、余力を創り、何かに貢献する。この事が出来るのが、先進国の国民だと私は考えている。その為に、誘導や先導等に確り対応できる国民とも思っている。我が身を傷めないと、人の為には成らないのが現実、だから、力・・・特に精神的・力許容力を持つ必要が有る。己だけで良いと言う生き方が、主に対して、寄生虫的振る舞いをする。結果、主は、宿主と言う自覚で、寄生ちゅに耳障り目障りの良い言動を行うが決して手を貸さない。

2025年8月2日土曜日

今月初めてのデイケアサービス

 今日は、盆つき始めてのデイケアサービスになる。今日は、鷲と神輿のペーパークラフトののり付けを行い、完成させたいと考えています。私は、介護施設に予定された曜日に行き続けることに成っている。盆月等で色んな用事のために、来院できない日は先月中に報告することになっていた。私の家も色々な事柄がある、しかし、私が居ても動けないし、私が居れば嫁を束縛してしまう。居ない方が、家族の自由度が増すし、色んな事柄への参加も、私を気にすること無く、参加してくれる。勿論、名代としての意識は有ると思うが????

昔から思っていることだが、人も色々居る、価値観も多様化していく、この流れの中で、どう己の許容力を増やすのか、その為には、二極論に向うとダメ・・・考えたくないなら二極論が楽・・・・己を正義と思って居れば良いことに成る。私は、己は???解らない、正義が悪かも解らない。今居る環境・己の能力が、普通と思い込んでしまう癖が有る。要は、このレベルが普通と言う捉え方、此を、社会人となり、40数年間の間に、己は普通でない、改善していく存在と思えるように成ってきた。早く気付が、大きく変貌していたと思うし、今の様な状況にはなっていなかったと思う。よくよく考えると、不満等が、衝動買いの行動を起す、無理して購入して一瞬の感激はあっても長続きはしない・・・・自己満足になるだけ・・・其れで終れば良いが、此が正しいと価値観を押しつけ出す。自己主張をすると言うこと、己の好みを主張する、此も表現として良いと思うが、あくまでも己の好み、此に、此が普通や正しいと言う単語を使う方が私は怖いし、人を誘導していることになる。

以前、RCドリフトの草創期にT先輩と、外部操作のラジコンで、リア駆動の二駆の操作、この難しさを話していた。MクラスのシャーシにはFFとRRのシャーシがあるが、Mクラスレースと成ると、基本FF車がほとんどを占める。理由は、アンダーなシャーシだしステアリング・アクセル操作を大袈裟にしても破綻しにくい・・・・・その点、RRは精細なステアリング・アクセル操作が求められる。この状況下で、ラジコンでリア駆動の二駆を行う、最初に考えたのは、一般にはトラクションと言われるが、牽引力のアップの為に、リアタイヤの接地面加重の増加・・・当然、アンダーな車になるし、少しの舵角では車は向きを変えない、変えるために大きめの舵角を与えて、フロントブレーキと私は勝手にいっているが、フロントを止める方向で、リアを出す操作になる。大袈裟な操作で出来る事に成るが、先に書いているように、滑り出すと言うより、飛ぶという感じの挙動になるので、外部操作の元々が難しいラジコン、対応が出来ない、結果、ジャイロが居ると言う事になり、T先輩はヘリも行っていたので、ヘリ用のジャイロを搭載、良い感じで走っていたが、私は、何か、リアルでないと思うように成ったし、色んなコースに伺って、二駆の理想を尋ねたら、最初にジャイロは邪道と言われ、重量バランスが実車と大きく違うなら個性が変るし、この方向性は無いと言われていたので、この助言を参考に続けてきた。何故、此を言うのか、RCの世界は色んなジャンルがある。ツーリング系になれば、当然同じ様なシャーシで戦っている。同じコースに違う個性が居たら大変な事に成る。その為に、色んなジャンル・規格がある。共に走るとなると、同じ個性が良いと言う事、此もRCドリフトの世界にもある。今主流のシャーシの特性に合う車が良いと言う事、そのシャーシの基本概念は、リアルなのか???何がリアルなのか????走るだけなら面白くない、操作がシビアで楽しいという場合も有る。以前書いているが、荷重移動で曲げる等々が、ネットで氾濫していたので、サーボーセイバーをメチャクチャ弱くして、プロポのステア操作をしても車の舵角が動かない等々の車で走っていた。ネットで言われているように、確り加重を感じて、個々というタイミングで振り返す、当然、舵角はキャスター効果で基本進行方向を向き続けるので、リアが出ればカウンターも出る。大袈裟に出ないだけで、裁量の量だけが出るという設定だった。コースで早いと言われるシャーシ、しかし操作は難しい何故早いかの質問に、実車と同じ、タイヤが同じなら、シャー重量・適正なパワーのモーターと言っていたし、申し訳ない原付パワーでと言っていた。

何が正しいかは解らない、リア駆動に二駆が、正しそうに見えるが、其れを進めた結果、どの様になるのか、出来るだけ操作の方は意識しないで、楽に操作できるとなれば、当然、決ってくる。ドリフトの醍醐味が無くなるという事に成る。

2025年8月1日金曜日

不思議だ!!

最近、太股表側が筋肉痛になる。基本、リハビリ等では無理はしていないし、殆どが車イスに座ってのペーパークラフトの作成で時間を費やしている。この作業で、無意識に、切り抜くために、デザインカーッターで行うのだが、腕だけの力では切れないので、体全体の力を使っているように思えるように成ってきた。理由は、作業を長い時間行ったときによく眠れるし、リハビリの時の腰や肩甲骨の可動式も増えていると言われ、以前比べ、色んな振舞で、痛いと言う言葉が出なくなった。己に取って無意味に思える、ペーパークラフトが結果的に、己のリハビリに成っているという事、勿論、周りから根を詰めると後が大変だと言われるが、それを無視して続けている。

今月は盆月の八月・・・・ペーパークラフトも神輿は最初に作りたいと考えている。祭り時期・・・・・施設内の利用者は己の力で動けない人が多い・・・結果、祭り等のイベントにも参加できない人の居ると思うし。参加するためには、人の介護の手が必用に成る。今回、ロシアで起きた大地震の影響で、津波警報・注意が発令されたが、現代は、個人主義が台頭してきて、己さえと言う部分に執着している。結果、個人情報法の影響で、我が地域、我が隣組に手を必要としている人が何人居るかの情報も与えることが出来ない。要は、己で地元に根ざして知る事以外に方法が無いと言う事、今回の地震・一般の人が出勤後に起きている。要は、動ける若者が居ないと言う村内で、誰が、避難等の、対処が出来るのか????此も課題になっている。特に負を抱えている人は、家族が隠そうとする・・・地域住民から気付かれないように生き続けている。この様な人が側に数人居ると言う事を認識する必用が有る。みたい部分、聴きたい事、以外にも現実は多々の側面がある。だから、見たくないこと、聴きたくない事に注視する意識が必用に成る。