ある人から、私に言われた言葉に成る。
私は、見えるような唯物的な拘りも無いし、優柔不断と言った方が良いと思うが、何故か、プライドを確り持たれていると言われた。
現代、耳にする、プライドの様相を見ると、見掛けに関係し、依存している事が強い事をプライドと言っている様に思える。
私の感覚だと見栄だと思う事が、プライドと言われている。
良い意味でのプライドも有るし、逆に悪い意味のプライドも有る。
又、見栄も良い意味も有るし、悪い意味の場合も有る。
私は、己の信念、思いを正直に相手に伝えたいと思うし、勿論、相手医大では出来ない場合も有る。しかし、出来るだけ己の思いを伝える・・・これを大事に考えている。その結果、どう思われようが、それは相手次第・・・・良いと思われる人も居るし、逆に悪いと思われる人も当然いる。全ての人に良いと同じように評価される事など不可能と私は考えているし、己と言う存在を社会の中に見せる為に、私は生きていると思うので、相手で変わる、悪く書けば相手の好みに己が化ける・・・これで人様から評価されると言う思いで創り上げた生き方がプライドなら、意味が違うと思う、何の為のプライドが、己の為????違う、保身の為に、化けているだけ・・・本音が有るが、当然、見せない・・・
この様な価値観を持った人を、私は己の中にも感じるから、自称、鬼畜の命を持った、人間と己を評価している。この私が、この方向性が強い、鬼以外にないと私は思っている。
要は、己の都合が常識・普通・一般的と成る様にこれを望んでいるし、その様な世界が、幸福で幸せ、当然、己だけだがそれが、個に陥った、天国・ユートピアの姿に成っている。嫌い・好みでない人が居ない世界・・・何度も書くが、独裁者・鬼の資質を持っていると言う事に成る。
この本質が私に有るから、見たくない・聴きたくない、方向性の人と縁し、語らい続ける・・・それで何か見えだしたし・・・
人とは、今、憧れる人等は、優秀な消費者、その流れに乗る事が、幸福だし、その様な世界がユートピア・天国だと思い込んでいる。よくよく考えれば、決して己の為に成ってない・・・強い立場に搾取され続ける生き方が幸せだと思い込ませられている。
父が、私に美味しい食べ物と、不味い食べ物、何方を選ぶ、人の数、選び方が多々あると答えたら、バカか~~~と言われた、人は誰しも美味いものを選ぶ、不味い物を避ける。この様に言われた。
若し、力が有り、レベル的に長けているなら・・・どうなると尋ねたら、当然、その力に応じた旨味を得れるし、不味いものは当然、下々が受ける。
要は、次元が高めると言う意味は、唯物的に、嫌いで、好みで無い事を経験しないで済むと言う事に成るし、逆に旨味や利は、己に集中すると言う事に成る。
この様は、価値観で、仮に信仰するなら、乞食・寄生虫の様に、宿主から多くを得たい、当然、旨味・利をと思って、信仰を始め、増す方向に成る。
又、宗教界もこの傾向を利用しているのも現実、簡単に書けば札束を咥えた、子羊たちの、愚痴を聞き、心配忘れさせ・・・次回の口に咥えて来る物を指示・・・搾取に成る。
独裁者と奴隷の関係性に成る。
勝負論等々を強く言う人は、この傾向性が強い・・・・
何が正しいかは各自で違う・・・これが基本である。
又、何度の書くが、人は失敗も間違いも起こす、結果、一般に言われるプライドが有るから嘘を言う・・・又、成長時期も有るが退化の時期も当然ある。理由は、生きものだから・・・人は神では無い・・・
言動が出来る間も限定した時間である。その時に、人様からよく見られたいと言う見栄を、プライドと勘違いして生きている人も当然いる。
之も、社会教育、マスコミ等でテレビから出て来る、言葉を勝手に捉えているし、当然、己に都合がよく、人様の目や耳障りが良い、本当の意味での風見鶏的、生き方を知らず知らずに言動している。
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