私の幼少期は、日本経済が復興を成し遂げようとしていた時期に成る。
田舎の為に、中々都会の様な生活は夢の話・・・貧乏人の子沢山で幼子を背負って、走り回って居たり、新聞配達等々で、糧を稼ぐ子供、多々居た時代である。
色んな家庭が有る。勿論、裕福な家庭も有る。肉等見た事が無いと言うレベルの人も居るし、日頃からケーキを食できる人も居る。
色んな人の生き方を見て来た・・・又、当然ことだが、高齢者も側に居るか、又は共に暮らしていた。
人の各年代の人々を確り見ることが出来たし、当然、特徴が有ると言うのも学ぶ事が出来た。
我家は、商売をしていたので、電話が早い時期から有った、都会に住む、息子達からの電話が、我家を通して行われていた。
その為に、近所の老婆の家に、電話~~~と呼びに行く作業が、私の様な子供の仕事と成っていたし、この行為に対して、色々とお礼と言う事だと思うが、して頂いた記憶が有る。結果、高齢者と話す機会も得る事が出来たし、優秀で一流の子を育てるとどうなるか???等々も見ることが出来た。
大学まで出せる、昔だと有る程度、蓄財・財産が有るから出来る事・・・・結果、一流企業等に就職・・・当然、田舎には無い・・・都会に居る、我が子が、一流で優秀と言うのが、その高齢者の誇りだし、自慢の様で、何時も話しておられたが・・・顔は寂しそうだった。
我家まで歩いて、来れなくなるに従い、最終的に、その家は誰も居ない家に成り、数年後、平地に整地され、未だに空き地状態で残っている。
優秀で一流の子を育てた、国や社会の為には成ったと思う。しかし、旧家だった家の歴史も、終わった感じが私はした。
人は、特性的に、見たいものは見るが、見たくないものは見ない・・・又、聞く事も同じで、聞きたい事は聞くが・・・聞きたくない事は、耳に入り難い・・・
この差は、その人の、損得勘定・・・趣向性で決まっているように思う。
しかし、厳然と生物の人間には何度も書くが「生老病死」が有る。知っているが、学ぼうとしない・・・結果、己の趣向・損得勘定で、悪い・損・と思える方向は悪だと言う捉え方をしだす。
私は何度の人は、失敗も間違いも起こす、又嘘もつく・・これが有るから人間だし、人間と共に生きるならこの事は当然と認識していなければ、全ての人が信用できない、裏切られたと言う捉え方をしだせば、当然、相手が悪い、己は間違っていない正義・・正義が苦労するわけが無いと言う勝手の思い上がりで、悪や損を抹殺する事さえ、正義を思えるようになる。
この様な人を、終戦後、日本国は、一神教的価値観を無理やり教えられ続けた。その為に、人が老いると言う意味を解っていない・・・人が病に侵されると言う事も解っていない。
しかし、時がくれば、知りたく無かったことも、現実に我が身に起き出す。その時に当然、己だけで処理できない・・・人の手が必要に成る、その為に人を育て、後継者の育成を行って居たか???勿論、人の為に尽くす意味を確り教えていなければ、己の手足に成ってくれる人など存在しないと成る。
それを、消す為に、一般は普通はとレベルを上げているし、平等意識で誰しも同じ対応と言う事に成るが、我が親も看ない人が、他人を看るか???平等の基本レベルが低いが、それを悟られたく無く、口からは高いレベルだと言っている、この様な人に貴方が代わりに行えばと言えば、直ぐに仕事が家庭が等々、己と関係ない、己以外で私の手は一杯だと主張する。それ位の器しかないのか???それで、世界平和・平等な社会等々、当然の様に口から吐く・・・出来もしない、勿論、努力もする事が無い事を、行っている様に言う・・・これは嘘である。
私は、己を差別主義者で、劣っているし、三流で、命は鬼畜の命を持っている。結果、己の命を差し出せと言われても、他を差しだす事が出来るならその方向に成ると思う。しかし、その力が無いから、まな板に乗った鯉状態で、どうにでもしてくれと成る。本心は逃げたい、情けない人間であると私自身を思っている。
この様な立場なので、用心に用心し・・確り生きると言う事を想定して進まなければ成らない。
こんな事も出来なくなった。この様な時期が来る。当然、人様の手が必要に成って行く、これは人として当然の事・・・
嫁は、私の両親を看取り・・その際、色んな失敗も親でもする。
下の世話も当然ある、この当然と言う意識が、嫁は有った、彼女は高齢の祖母と暮らしていたので、老いると言う事が解っていた。
𠮟り飛ばして失敗を言っても、特に、プライドが有る大人、親として生きた時期もある。人の上に居た頃も有る。
しかし、老いれば、赤子に戻る・・・しかし、頭が確りしていると問題が複雑に成る。
嫁は極端に言えば、ボケて痴呆症の方が、扱いやすいと言っていた。
失敗の処理をしていても、何も感じない・・・この方が作業が楽だと言っている。失敗を恥だと思い、隠したい、それを指摘されれば、普通の頭が有れば、怒りが出て来る。
之も、人の変化が、有ると言う事、若い時と老いた時とは違う・・・・
父が言っていたが、若い時に己を変えなければ、老いたら変わる事が出来ない、古木は曲げれば折れると言っていた。
解っても、体に染みついた価値観・簡単に変える事が出来ない。
人を観て、有りえないと思う事が無くなって行く、これが生きた年数の積み重ねだと思うし、経験・体験・等々で、身に着けて行く事に成る。
間違っても、見たい・聴きたい事だけを、経験・体験しても生きる為の役には立たない・・・・見たくない・聴きたくない事を、経験・体験した方が、人として成長できている、これを、虐められた損したと捉えたら、目の前に宝が有るに気付かなかった事に成るし、それを宝と気付いた人が、人間として生き、死んで行けると私は思っている。
どう生きるか、人の姿で生まれたが、命は鬼畜・鬼に成っても不思議で無い私・・・・しかし、最後は人としてこの世を去りたい・・・
これが私の大きな目標に成る。出来ない可能性が高い、色んな人を恨み・妬み死んで行くのかもしれない、そのが地獄と言う・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿