2023年7月10日月曜日

凄い豪雨・・・・

 息子達の家を周り、問題が無いのを確認・・・

長男は、10時からの出社に成ったと、何時もの様に我家に寄り、休んでいる。四男は、久しぶりに熊本方面の為に、仕事と出発したが・・・

五男は、お昼まで駅で待機し、その後、会社からの指示で、今日は出社しないでよいと言う事で、駅に迎えに行き、今、休んでいる。

五男も少しは勉強に成った様だ・・・・明日は、早出で会社まで送ることに成っている。少しは早めに早めに準備する大事さが解って来た様だ・・・

己の要求を求めれれば、当然、誰が頭を下げるのか???当然、要求する側に成る。しかし、頭を下げたくないから、色んな理屈を創る、これを屁理屈と言う・・・要は、要求は当然で、それを与えない方が悪いと言う論法に持って行く事に成る。この場合、直ぐに利用されるのが普通や一般的・・・人権や平等と言う単語に成る。要は己の我儘を通したいだけなのに、話が大きく成って行く、結果、事が大事に成るし、これが通れば、誰しもと成って行く・・・・

仮に、人様に頭を下げたくないと思うなら、他人様に要求しない事・・・

どうしたら良いか????と尋ねる・・この程度が一番良いし、相手の心も見えだす。

以前書いているが、私は馬鹿で無知だから、教えて下さい、何をしたらよいか言ってください・・・これが一番、相手に頭を下げているようで、下げていない事に成る。

五男は、勤め人として、雇用主側の要望に応え続けた結果・・・家に帰れと成った。その時の言葉のやり取りで感じた事が有ると思う。

お互いが気持ち良い、解決策・・・・尋ねる・尋ねるで、出た結果・・・

五男も経験である。心・命の経験である。同じ結果でも、それまでの行いで、感じ方が違う・・・・

幸せ・幸福・感動を得たいと思うなら・・・・結果より、その様な部分に気を使った方が、分に沿う幸せだと私は思っています。

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