低血糖で倒れ、今日で六日目・・・ギリギリ杖でも歩ける状態に成ってきた。数日で松葉杖とはお別れのような感じがする。
しかし、この間・・・家族に大きな迷惑を与えた。特に長男、毎日出社前と帰宅前に我家に顔を出している。当然、気を遣わせないために、何か食い物は ~~~等々、我侭を言っているが、会話が出来るだけでも有り難い。
この間、私は達磨さん状態・・思うように成るのは、頭だけ、腕も脱力感が有り、思うように成らない・・・・
仕える、部位は、声「お~~~~い」と、叫べば、家に誰が居れば返事がしてくる。又、聞こえなければ、携帯電話で連絡が取れる。
要は、家に誰も居なくても、直ぐに動ける訳では無いが・・・・会話が出来る事の、有りがたさを、今回強く感じた。
今までの人様との付合い方に成る。区長も心配し電話を頂いた。退院し現状は報告している。何か有ったら連絡をくれと言われている。
勿論、親族の付合いも、私は頻繁にする方だと言われるが、昔なら、これでも少ないと思うが、従兄弟との連絡先も解るし、母里の盆正月で、集まってくる、全てで無いが、従兄弟とは未だに近い付合いが有る。
又、息子も、五人・・・・兄妹も妹と、義理が付く兄妹が、四人居る、甥・姪も居る。息子達の若嫁の居るし、孫が車の乗り回す年齢に成っている。
私は、己のセーフティネットと考えている。この部分が多い事が、大事だと思う。力の有る無しでない・・・・力が有っても連絡が付かなければ意味が無い。
背中が痒いと言うときに、力が有り、頭が良い、一流で優秀な人で無くても、簡単に言えば、幼い孫でも十分という事。
昔から、背中の痒みを取る為の(孫の手)・・・・意味が確り有ると言う事になる。
これを忘れていれば、己が、私の様に達磨状態に成ったら・・・誰が手を貸すのか?????・・・・居る人が幸せで、居ない人は、人として振舞った生き方をしていなかったと成る。
私は、己の事は、人の姿をしているが、命の根底には鬼畜が居ると書いている、その為に、利己主義に直ぐに走るし、その方向に向ける理屈を構築する。だから、強く、己に言い聞かせ続けている。俺は人間で無い、鬼畜だ、だから人間として、どう生きれば????と何時も問い掛けている。
結果、今に成っている。正直、命の根底では勝者が好きだ、負けは絶対に認めない。しかし、それが争い加速させ増大させる、これで、全ての人が幸せに成るなら、良しと思うが、不幸な人を輩出し続けているとするなら、基本の価値観を変えるしか無い。
「お~~~~い」・・・・・・・・・「なに~~」・・・幸福を感じている。
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