私は、完璧で有りたいと思っている・・・何故か、完璧で無いために、不可能と思うが夢になる。
当然、己さえ、完璧は不可能と思っている、それを他人に求めても意味が無いと私は捉えている。
その為に、世の中「お互い様」と言う考えて生きてきた。
しかし、幼い頃から損得勘定を教わり、何が損で得か・・・此も固定した価値観を与えられ続けている。
その為に、ついつい、損得勘定で、何度が書くように、プラマイ0を理想としている・・・・しかし、現実は、得するか損するかのどちらかに成っているし、当然、本人は今の価値観の影響で、損していると感じ・捉えてしまう・・・結果、お互い様の考えも、意味が無い、己さえと言う方向に進むことになる。
当然、他人も信用できない、信用していたら裏切られる、裏切られるから最初から信用しないと言う、考えになる。
私は、人は、何故信用するのか????信用するだけの部分が有るからに成る。何が???と成ると、先に書いた完璧だからを信じて、信用するなら、当然、間違いも失敗も起こす生き物が人間・・・完璧でないので、信用してしまえば、騙されたとなる。
私は子育てで、子供を信じていた・・当然、世間様から後ろ指を刺される悪ガキだったが・・・騙されたとは思わないし、己の子、私が~~~~と言う思いで、色んな処理を行ってきた。
今年になって、子供達が集まると、何時まで生きている、祖父母の慰霊の隣に、私の写真を並べたいと、大笑いで話していた。
なんて、親孝行な子供達か・・・と・・・私は、心で笑っていた。
要は、捉え方になる。
仮に、息子達も悪さが出来た・・・・環境が有ったと言う事・・・良いか・悪いかは捉え方で違うが、有った・・・
息子達が言っていたが、我家に自閉症の子が居ないのは、籠もれる部屋が無い、要は環境が許さなかったという事を言う。
要は、捉え方、同じ環境でもどの様に捉え得たかでその後が180度違うと言うことになる。
私は、結局は、己は死ぬ、居なくなる。世に遺した人達の世間様の評価が私の、結果と考えている。
私、個人がどんなに凄くても、後継者を遺せないなら生きた意味が無い、
青年期は、己で完結できても、高齢まで、生きていれば、当然、己の今後も見え出す。何が見えるか死が見え出す。
一流でも優秀でも死は待ってくれない。此が解るから、後継者の育成の大事さが身に染み出すし、己が教えてこなかった事を後悔することになる。
私は、三流で劣っている、半人前以下のレベル、私の後継者等、簡単なレベルだと思う。一流や優秀な立場に成らなくても済む・・・
少し、足下に目を下ろせば、下々のしなければ成らない、下働きが多々有る、それを一つ一つ片付ける・・・・勿論、片付けが済む己のレベルでは無いが、片付けなければ、後生の者に負担を残す事に成る。
夢だが、後生の人から感謝して貰える生き方を見せたいと私は考えている。
格好良い生き方でないし、七転八倒な生き方だが・・・絶対に逃げない、負けないと続ける・・・此が生きることだと私は思っている。
要は、簡単な生き方になる。無理して高い次元・レベルを先ず目指すので無く、今の居場所、ポジションで、足下を見て、何が己で出来るか???当然、全て出来るはず、レベルが己の居るポジションも誰も見向きもしない、価値を見出すことが出来ない事なので、簡単にこなすことができる部分、しかし、変はプライドがじゃまるるだけに成る。
このプライドは、傲慢な己の命になる。
今、私は、己の体も思うように成らなくなった。
数日前、近所の青年が、バイクを買ったと、ドラックスターというアメリカンのバイクを乗ってきた。その際、リアブレーキが効かないと言っていたので、昔の感覚で、請け負って、対処したが・・・ブレーキ調整でめがねレンチを使う事も、中々出来ず、難儀したし、その後、バイクを起こして押す作業を、青年にさせたが、起こす時に私が直ぐにバイクから離れることが出来ず、真後ろに座ったまま倒れてしまった。
哀れだ、一歩間違えば、怪我・大怪我するところだった。
この様な体なので、飼い犬の糞の処理も、正直言えば、大仕事になる。
今まで、無意識と言うより、何も考えず行ってきたことが、今では全て、考え、覚悟が必要に成っている。
車を運転する、己の体と相談しながらになるし、車庫から出す時に、今日は大丈夫か等々を、己で検証しながら車を動かし出す。
各自、出来る範囲が有ると思う。当然、次元やレベルが高いから無理という事も有ると思う。しかし、何度も書くように、足下を見れば、出来る事は多々落ちている。この落ちている事を処理する・・・この些細な事も、出来る時がある。
私は、したいと思っても、今は出来ない・・・出来ないと、見もしなくなる見ないという事は盲目な人間という事に成る。
以前は、村内の道に落ちているゴミ等々に気が行っていたが、今は己が出来ないから、出来るだけ見ない方向になっているようだ・・・
出来ない事を悔いる事に成るし、病を恨むことに成る。最終的に己を恨み、親を恨む方向になる。
しかし、幸いに、村内の保全は、確り行われている、区長や地域の保全グループが確り頑張っているようだ・・・・
特に、今は、嫁も仕事、土日も亡い仕事のために、村内の作業が土日に集中る。私自身も動けないし、嫁は仕事、残っている、二人の息子にお願いしても、聴く耳を持たない、損だと思っているし、その様な教育を受けているようだ・・・・・私の代わりに参加してくれと頼んでも、無視・・・・
私の親としての、育て方が間違っていたことにも成る。
村内の事、基本、肉体労働の奉仕が多い、その為に、私の母は若い者が居るなら、若者が行く場所と言っていたし、私は行っていた。しかし、一番若いのが私で、その上は一気に私の親の世代となっていたが・・・・
その時から、今の若い世代は~~~~と若い家庭は参加されない、協力されないが普通になっていた。
私も、これからと思っていた・・・当然、地域に貢献が、還暦後は仕事より大事だと考えていたが・・・・この体で、今は足踏み状態・・・
しかし、私でも出来る事が有るはず・・・それを探す、これも大事だと考えています。
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