以前も書いているが、今回の四男の件でも、再確認できた。
信用していると言うタイプは、何故か、負が発生した場合、見捨てて逃げる傾向が強い様だ・・・・
私は、素行等を見て、信用できない、当てに出来ないと、言うタイプだが・・・結果的に尻拭きや後始末をする方向成るタイプの様だ・・・・
近所の困ったチャンも、保険金が入り・・・裕福に成られた、誰も見向きもしないタイプだったが、一気に信用が付いたのか、多くの人の出入りが始まった・・・・貴方を信用しています等の、言い回しで、良い気分にさせられ・・・多くの毟り取られていた・・当然、指摘するし、絶対にダメだ、後で困っても知らないとまで、言っていたが・・・
結果的に、一文無しに成り、本当の困ったチャンと成られたら、多くの出入りが有っていた家に、来るのは借金取りだけ・・・・結果的にその処理を、信用できないと言っていた私が行った。
我が子を信用する・・この信用と言う部分が、私には何がと成る・・・・・
素行振舞は信用できるか????出来ない、と言う事は、素行振舞が間違っているし、それを行えば、当然、負が発生する・・・発生した負を、己で処理できるか????出来ないと思うから、指摘も当然するし、バカ等々、罵る様な言葉も吐く事に成る。
勿論、何故、この様に思うのか、己に責任が有ると言う部分が有るからに成る。
我子、何が有れば、尻拭きするのは親の務めだと思っている。しかし、その分が己に無い、だから、何時も耳の痛い事を言い続ける事に成る。
要は、信用と言う言葉が、褒め言葉で、相手に気に入ってもらえる為に、使っているだけなら、信用の意味が、私が思う信用と違う事に成る。
近所の困ったチャンの老婆は、私が死に水を取ったし、葬式も行ない、遺骨を墓に押させる事も出来た。
得た物は多々ある。しかし、無くした物、特にお金は数百万に成る。
その人が大事と思うから、指摘も、怒りもする。大事だから、己が出来る分、大事にしたいと思うのは人なら当然と私は考えている。
肉親に対して、他人に対しても、優先順位は色々有るが・・・己の分で出来るなら、行いたいと思うのも、人間だと考えている。
私は三流だし、無知・・・しかし、私の分で、人を見る目も有るし、見える将来が良いなら、気にすることも無い・・・・しかし、不幸が見えるなら、何か協力できないかと思うのも人間だと考えている。
何が出来るか???当然、金欠で貧乏・・・出来る部分は、口で指摘し、叱る事しかない。
結果、嫌われ、一番、側に居たくないと言う立場に成るが・・・何故か最後は私が居ると言う現実が有る。
差別主義者の私でさえ、この程度である。
平等主義者なら・・・当たり前に、優先順位も無く、目見見える人すべて平等に、負に対して背負えると私は考えている。
人様に対して、何が出来るか・・・出来れば、手助けになる方向の役に立つ人間として生きたいと考えている。
勿論、力が無いから、大きな事は、出来ないが・・・出来る範囲で何が出来るかを考えr事が、私の楽しみに成っている。
四男の件も、私としては、勉強・楽しみと考えている部分が有る。
人がどう変わって行くか????・・・一瞬一瞬で人は変わると言われる・・・それ程、変わり易いのが人間なら、出来れば、人として善に近付いてい欲しいと願っている。
その為に、私に何が出来るか????楽しみと成る。
0 件のコメント:
コメントを投稿