2020年12月28日月曜日

捉え方・・・

 物事に対しての捉え方・・・人間の数、色々有ると私は考えている。

しかし、最近はパワーハラ・セクハラ・・ハラスメント等の、捉え方次第で、苦痛と感じたら、問題に成る時代に成った。

その為に、ハラスメントに成らない、言葉・表現等々を、模索する事に成るが・・・先に書いて居る様に、多々の捉え方が存在するので・・・模索し、探そうと努力しても、100%大丈夫と言う、言葉・単語は、何と私は考えている。

結果、世間話程度の、何の意味もない会話は出来ても・・・相手に対して思いを伝える、この様な話は出来ない・・怖いと成って行く方向に向かっている。

以前も書いて居るが、捉え方等々も、この捉え方が正しいと言う、方向性に向かっていた。

捉え方に、之が正しい・これが間違っていると言う、事は、場合も時間も色々が関係するので、無いと私は考えている。

寝る間も惜しんで、頑張っている人に、たまには体の為に、休む事も大事だと言う・・・

同じ言葉を・・・・何時もズルして体を温存している人に、言ったら・・・捉え方が大きく違うと私は思う・・・

しかし、最近の平等と言う方向なら、他との差を付けない言い方に成れば、当然、正しいと成る。

しかし、厳然と捉え方が違う相手に、同じ言葉が言えるかに成る。

仮に、言った方が、立場が高い・・・例として会社の社長・・・・日頃、さぼっている人間なら、社長が体を休めろと言ったと、次回からは堂々と体を休めだす事に成る。

頑張っている人間は、社長の配慮と恩と受け止め・・感謝の思いで、出来るだけ頑張ろうとする場合も出て来る。

同じ、言葉でも捉え方で大きく変わる事に成る。

逆に、今以上に頑張ってくれと言われた場合、日頃サボっている人間は、耳にも受け止めていない。日頃頑張っている人間は、今以上に頑張ろうとする人も居るし、又は、限界部分で頑張っているのに、鬼の様な言葉、パワーハラと捉えてしまう場合も出て来る。

要は、捉え方が多々あるのに、固定化した方向に向かっていたが、今は、その善悪が言われる様になって来た。

最初から、多々ある捉え方と言う部分を、尊重していれば良かったが、之を固定化に向かった為に、要は罰則が出来て来たと言う事に成る。

世間話程度の関りしか、持てない・・集団に向っている事に成る。

要は、相手の価値観を知る、対話も出来ない環境へと向かっている。

これも、対話を怖がる立場が有ると言う事・・・人々の対話、繋がりを怖がる立場とは、当然、権力側に成る。

力無き、庶民、その末端に私が居る。

力が無い分、人との繋がりが大事に成るが・・この繋がりを作れない環境に向かっている事に成る。

要は、何の影響もない、戯言の集まりは、作れても・・・・それ以上の集まりが出来ない方向に成っている。

将来を危惧する理由にも成る。

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